あれかこれか

「あれかこれか」についてのメモ。あれかこれかとは…
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あれかこれか †

  • ヘーゲル哲学は弁証法を重視。
    • 否定という契機を媒介させることで,究極的には一切をおのれのうちにとりこむことを可能にする論理であり,そのかぎりで弁証法を,「あれもこれも」の論理と言える。

 それに対して,キルケゴールが問題にしたのは,そうした概念による和解のなりたちえない場合である。

 日常生活でわれわれは,つねにさまざまな選択に直面しており,そこではどちらかでしかありえないにもかかわらず,どちらにしても後悔することにしかならない。この自然的生き方をしている実存の段階をキルケゴールは,「美的実存」と呼ぶ。
 そのかぎりで美的実存にはつねに「あれかこれか」の選択が突きつけられているのだが,ついで「倫理的実存」の段階になると実存は,審美的な生き方をしていたときのように,ただそのつどの関心や趣味に応じて選択をおこなうだけでなく,その選択がもたらす結果にまで責任をもとうとする。「倫理的」と形容されるゆえんである。
 こうして今度は,可能なかぎり普遍的な生き方が目指されることになる。だが,あらゆることがらにわたって真摯な選択を遂行しとおすことなどできるものではない。そこから,倫理的な生き方を超越したものへの予感が,呼び覚まされる。ここに開かれてくるのが,「宗教的実存」の段階である。

 ここではもはや,こうするのが普通だとか常識的だとかといった通念はまったく役だたない。たとえば誰もが当然のように教会に通い洗礼を受けることで,自分は一人前のキリスト教徒だと思いがちだが,キルケゴールに言わせればそれは真のキリスト者ではない。そうした通念をすべて捨てて,神という絶対者の面前に単独者としてたつ勇気があるかどうかを自問しなければならない。しかも,自分が選ぼうとしている道が真に救いへ通じる道であるという保証はどこにもない。ここにこそ,否応ない選択を迫るものとしての「あれかこれか」の場面が開かれていると言える。






2007-03-10 (土) 21:29:46 (4872d)