アフリカ

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ヨーロッパ列強によるアフリカ分割 †

長い間ヨーロッパ人にとっては、アフリカは未知なる暗黒大陸であったが、リヴィングストン(英)、スタンレー(米)の探検とスエズ運河の開通後、ヨーロッパ列強は争って侵略を企てるようになり、20世紀初頭には、リベリアとエチオピア以外はすべて植民地となった。

  • イギリス
    • 1875年エジプトの財政窮乏に乗じてスエズ運河の株式を買収し、アラービ=パシャの排英運動を鎮圧して、エジプトを事実上保護国化した。1899年にはスーダンも占領。南方では、ケープ植民地首相セシル=ローズが本国植民地相ジョセフ=チェンバレンと呼応して南ア戦争をおこしオレンジ自由国とトランスヴァール共和国を征服し、1910年には従来のケープ植民地などに両国を加えて南アフリカ連邦を組織して、自治領とした。
    • イギリスはケープタウンとカイロをつなぐアフリカ縦断政策を成功させ、さらにインドのカルカッタと結び付けることを意図していた。(3C政策)
  • フランス
    • 1830年に占領した北アフリカのアルジェリアを足場に、1881年にはチュニジアを保護国としサハラ砂漠を占領してジブチ、マダガスカルを結ぶアフリカ横断政策を企て、イギリスの縦断政策と衝突してファショダ事件を引き起こした。これは、フランスの譲歩に終わった。この後、両国は、1904年に英仏協商を締結し、エジプトにおけるイギリス、モロッコにおけるフランスの優越を相互承認した。
  • ドイツ
    • ウィルヘルム2世は、モロッコに野心をもちフランスとの間に二度にわたるモロッコ事件をおこしたが、イギリスがフランスを支援したため失敗。モロッコは1912年に正式にフランスの保護国となった。
  • イタリア
    • エリトリア、ソマリランドを獲得し、エチオピア侵略を企てたが、失敗。1911年から12年にかけて伊土戦争を起こし、トリポリ、キレナイカを奪って、両地を併合してリビアと改称。





2007-03-10 (土) 21:30:06 (3759d)