アメリカ経済史

「アメリカ経済史」についてのメモ。アメリカ経済史とは…
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アメリカ経済史 †

アメリカ資本主義の発展を可能にした要因として,一般的には次の5つがあげられている。

  1. 建国当初から資本主義的環境で国が発達した(ジェファーソンやフランクリンにみられる精神)
  2. 先行体制として封建制を有しなかった
  3. 豊かな天然資源の存在
  4. 西部に広大なフロンティアが存在した(ターナー説)
  5. 労働力不足を機械化で補った

 その他に,この5つよりもさらに大きな理由は,西欧同様,市民革命(独立戦争・南北戦争)を体験したことである。イギリスに対する独立戦争の勝利により,アメリカは次の3つの客観的条件を獲得し,資本主義への本格的発展の途を切り拓いた(T.ペイン「人間の権利」)。

  1. イギリス重商主義の植民地支配から脱し,国の独立を勝ち取り,市場を確保したこと。
  2. アメリカ内部に残存する封建的土地所有関係を排除したこと。
  3. 農民や労働者が自分の諸権利獲得のための諸条件を作り出したこと。

 しかし,まだ奴隷制の問題が歴史的発展の大きな制約となっていたが,これは,後の南北戦争で北軍の勝利によって解決された。奴隷解放によりアメリカの経済的・政治的分裂は終止符をうち,単一国内市場を持つ工業国としての下地ができあがった。

アメリカの産業革命 †

アメリカ産業革命

アメリカ資本主義の発展 †

1880年代は,北部産業資本が国内市場を制覇し,農業国から工業国への段階的移行を完成した時期である。この移行の原因となったのが1873年の恐慌である。この恐悦から脱するために,アメリカ産業資本は生産の集積、資本の集中,巨大トラストの形成で自己の利益を守ろうとした。1873年の恐慌では価格低落,市場縮小が生じたことによって、各企業の過剰生産能力が明確化した。企業は価格引き下げ競争に終始したが,それでは益がないので,彼らは業者団体を結成し,それをもとにカルテルを形成した。更にそれを強化したものが「トラスティー方式」とよばれるものである。これは,トラスト参加の各企業が,その株式を「受託者団」に預託し,それと引き換えに企業資産評価額に相当する「トラスト証券」、を受け取るというものであり,構成企業の資本上の結合をはかるものであった。これが「資本の集中」の実体である。
 この動きに対し,連邦政府は1890年,シャーマン反トラスト法を成立させ,独占に歯止めをかけようとした。この法律により,1890年から1916年までの間に174件もの告発がなされた。

  • 有名なものとしては,スタンダード石油トラスト事件があった。この立法は「トラスティー方式」には有効であったが,持株会社には有効ではなかった。それゆえ,そこにこの立法の限界があり,独占の完全な歯止めにはならなかった。

アメリカの資本輸出

各国が帝国主義段階に入った20世紀初頭においても,アメリカはこの点で後進国であった。それ故,活動領域も狭かった。アメリカは1898年米西戦争により,フィリピン(中国市場への足場となる),プエルトリコ,グァム島を手中に収めた。1902年にはパナマ独立の援助をして,運河建設権を取得する。キューバヘの投資はその安全性・有利性ゆえ,2億ドルが投入され,その資金でまたアメリカから生産手段を購入したので,アメリカは二重に潤った。しかし,それでもアメリカの資本輸出は,全体としてイギリスの10分の1以下の5億ドルであったので,国際金融でのアメリカの地位は低いものであった。
 ところがこの様相は第一次大戦によって一変した。戦中から戦後にかけてのアメリカ貿易の中心は,ヨーロッパを対象とするものであった。大戦の影響によって,各軍需品,機械,自動車,鉄鋼が大幅に伸び,1920年には戦前の債務国から,最大の債権国になった(1914年に72億ドルあった債務は,1920年に39億8500万ドルに減った。逆に35億1400万ドルしかなかった債権が,69億5600万ドルに増加した)。そこで,国際金融の中心もロンドンのシティーからニューヨークに移っていった。

大恐慌とニューディール †

戦後のアメリカ †

 第二次大戦後,アメリカはパックス・アメリカーナの維持のため,台頭する社会主義を封じ込める冷戦体制の構築に力を注いだ。この時期の産業構造をみると,軍需産業が民間産業の重要部門として定着し,アイゼンハワー大統領が認めたように,軍産複合体制が出現した。冷戦下では軍需が恒常的なものとなり,国防費はGNPの10%を常に上まわった。

1950年代〜70年代は,経済的繁栄と福祉社会の享受の時代といわれた。53年の恐慌は金融対策のみで克服に成功した。55年から57年にかけて大量報復のための核兵器充実をはかるニュールック戦略による新型の軍需や技術革新投資のおかげで,好景気を経験した。ところが,57年の不況は,既存のそれと様相を異にした。独占企業は独占価格を維持したままで,労働者の解雇と急激な減産でそれを乗り切ろうとした。ここに不況下での価格下方硬直性現象があらわれたのである。国際収支についてみると,57年を除いて常時赤字であった。戦時からのドル不足は,ここで一転してドル過剰現象が現われた。

 そうした状況を打破すべく,ケネディ大統領(在任1961〜63年)は投資減税と共に所得税減税を同時に行なった(ニュー・エコノミクスの理論による)。その後を継いだジョンソン大統領(在任1963〜69年)もケネディの路線を踏まえ「偉大な社会」の建設に乗り出した。「福祉社会」をめざして社会福祉予算の急増をはかる一方,ベトナム戦争の戦費膨張によ
って(65年495億7800万ドルから68年805億1700万ドルに,62.4%の増加),連邦政府は大幅な財政赤字(67年87億ドル,68年252億ドル)を記録する。福祉社会,経済的繁栄の光の裏には,財政赤字という影がつきまとっていた。






2007-03-10 (土) 21:30:10 (3812d)