北米では、ステュアート朝の下で弾圧されたピューリタンのピルグリム=ファーザーズが、メイフラワー号でプリマスに上陸してプリマス植民地(後マサチューセッツ州に併合)を開いて以後、ニュー=イングランドには1732年のジョージア州まで13の植民地が成立。
北米の植民地ではイギリス本国の重商主義政策への反発は大きかったが、新大陸における他国の植民地からの脅威から、本国の軍事力に頼らざるを得ず、イギリス領アメリカ植民地は、対立する利害関係を内包しながら、本国との関係を維持。
- 七年戦争(新大陸ではフレンチ=インディアン戦争)の勃発
- 植民地と本国のこうした関係をこわした。七年戦争でイギリスが勝利し北米からフランス勢力を駆逐し、インディアンを弱体化させた事や、七年戦争で財政難に陥った本国政府が、植民地課税の強化政策をとったことが、植民地側を独立に駆り立てた。
1765年本国政府が、「印紙条令」を制定すると、植民地人は、「代表なくして課税なし」を理論として掲げて抵抗(パトリック=ヘンリーの決議など)。
「茶条令」が制定されると、この「茶条令」に対して植民地の急進派がボストン茶会事件をおこした。こうして本国との対立は一層悪化し、第一回大陸会議を経て、ついに1775年にレキシントンで武力衝突。当初は、独立派は少数であったが、トマス=ペインの『コモン=センス』が著されて以後次第に独立派が増え、1776年には、ロックの市民的民主主義精神を拠り所としてトマス=ジェファーソン、フランクリンらが起草した「独立宣言」が出されると、独立政府の結成に拍車がかかる。翌1777年、13の植民地でアメリカ合衆国が建国された。
1778年、フランクリンの遊説の結果フランスを始め、スペイン、オランダもアメリカ側について参戦し、1780年にはロシアのエカチェリーナ2世の提唱で、北・東ヨーロッパ諸国が武装中立同盟を結成し、イギリスは孤立。
1781年のヨークタウンの陥落で、イギリスの敗北は決定的となり、1783年のパリ条約で、イギリスはミシシッピー河以東の東ルイジアナを割譲し、アメリカの独立を承認。 1787年には、憲法が制定され、1789年にワシントンが初代大統領に選ばれて、ここにアメリカ合衆国は名実ともに人民主権の原則に基づいた独立国となった。
- 植民地建設
- 1584年
- ヴァージニア植民地建設(エリザベス1世の時代、ウォーター=ローリー)
- 1620年
- プリマス植民地建設(ピルグリム=ファーザーズ)メイフラワー号契約
- 1732年
- イギリスの重商主義
- 1733年
- 1750年
- 1756年〜63年
- 1764年
- 砂糖条令(糖蜜条令の修正・微税の強化・密貿易の禁止)
- 1765年
- 印紙条令『印紙条令会議「代表なければ課税なし」』(〜66年、撤廃)
- 1767年
- タウンゼント諸条令(1770年 茶税のみ残して撤廃)
- 1773年
- 1774年
- 第1回大陸会議(ペンシルバニア植民地のフィラデルフィア)
- 独立戦争
- 1775年
- レキシントンの戦い(独立戦争の開始)
- 第2回大陸会議を開く
- ワシントンを総司令官に任命
- 1776年
- コモン=センス(常識論)=トマス=ペイン著(独立の機運を高めた)
- 7月4日 独立宣言
- コシューシコ、義勇兵として参加(ワシントンの副官)
- 1777年
- 1778年
- 1779年
- 1780年
- オランダ参戦
- 武装中立同盟(エカチェリーナ2世の提唱)…ロシア・スウェーデン・デンマーク・プロイセン・ポルトガル参加
- 1781年
- 1782年
- イギリスではノース内閣総辞職(米に友好的なホイッグ党内閣成立)
- 1783年
- 1787年
- 憲法制定会議(フィラデルフィア)アメリカ合衆国憲法制定-1789年
- 初代大統領ワシントン就任(〜97年)
- 1793年
- 1797年
- 1800年
- 1801年
- 1803年
- フランスよりルイジアナを購入(アメリカの領土は2倍となった)
- イギリスの植民地政策
- 砂糖条令(1764)
- 印紙条令(1765)
- 刊行物に印紙張り付けを強制 →「代表なければ課税なし」
- 茶条令(1773)
- 茶の独占販売権を東インド会社に付与→ボストン茶会事件
- アメリカ独立宣言
- 起草
- トマス=ジェファーソン、ベンジャミン=フランクリンら
- 内容
- 暴政への革命権主張
- 英王ジョージ3世の暴政の列挙
- 13州の独立宣言
- 目的
- 外国の支援をえるため
- 独立に反対または消極的な保守派を制圧する為
- 意義
- ロックの思想を現実化
- フランス革命の人権宣言に影響