イスラム王朝

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イスラム王朝の繁栄 †

15世紀以降、アジアでは、強大な専制王朝が君臨していた。
イスラム世界では、西アジアにオスマン=トルコ、ティムール帝国とサフアヴィ朝ペルシアが、インドにはムガール帝国が成立。

オスマン=トルコ
1402年アンカラの戦いで西進してきたティムールに大敗をきっし滅亡の危機に瀕したが、ティムールの死後国力を回復し、1453年には、コンスタンティノープルの占領に成功し、イスタンブールと改称して帝国の首都とした。これにより、1000年余り中世を生き抜いてきたビザンツ帝国は滅亡した。
さらに16世紀になるとオスマン=トルコはメソポタミアを領有し、エジプトのマムルーク朝を倒して、カイロに亡命していたアッバース朝のカリフの子孫からカリフの称号を継承した。ここに、スルタン=カリフ制が始まる。スレイマン大帝の治下には、アジア、アフリカ、ヨーロッパの三大陸にまたがる領域を支配し、最盛期を迎えた。

イラン人によって建国されたサファヴィ朝ペルシアでは、イラン民族文化が復興し、シーア派イスラム教が国教とされ、スンニ派のオスマン:トルコに対抗した。アッバス1世の時が盛期であったが、その死後衰退していった。

ティムールの子孫のバーブルがインドに侵入し、デリー=スルタン朝を打倒して樹立したムガル帝国は、アクバルの時に最盛期を迎えた。デカンを除く北インドを統一して首都をアグラに移し、中央集権化を推進するとともに、イスラム教徒、ヒンズー教徒との融和に努めた。しかしアウラングゼーブの治下に、帝国最大の版図を築いたものの、財政が悪化し、ヒンズー教弾圧策をとったので内乱が激しくなり、以後シーク教徒やマラータ同盟の反乱や、ヨーロッパ勢力の進出で、帝国は崩壊に向かった。






2007-03-10 (土) 21:30:21 (3793d)