イスラム帝国

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イスラム世界

イスラム帝国 †

イスラム帝国の成立 †

唯一神アラーへの帰依による救済を説いてイスラム教を創始したマホメットは、ヘジラ(聖遷)を経てイスラム教徒の共同体(ウンマ)を作りあげ、その軍事力により、アラビア半島のほぼ全域を教団の支配下におくことに成功した。

  • 正統カリフ時代
    • マホメットの死後も正統カリフの下、ジハードが推進され、ササン朝ペルシアの征服などアラブ世界の拡張がなされていった。しかし、征服を通じて対立が生じ、第4代カリフのアリーが暗殺され、正統カリフの時代は終焉。

アリーの暗殺後、ムアウイヤがカリフとなり、その地位を世襲化し、ダマスクスを都としてウマイヤ朝を創始した。ウマイヤ朝も、ジハードを継続し、イベリア半島を征服しフランク王国に侵攻しようとしたが、トウール=ポワティエの戦いでカール=マルテルに破れ西方世界への進撃は阻まれたが、広大なアラブ帝国を成立。征服民にはジズヤ(人頭税)とハラージュ(地租)が課せられたが、アラブ人は免税の特権を有していた。

アリの暗殺後、ウマイヤ朝を認めずアリとその子孫のみを正統とするシーア派と、ウマイヤ朝を認めるスンナ派に宗派が分裂し、抗争が続いた。このような中、ウマイヤ朝の政策に批判的な勢力がでてきて、ウマイヤ朝は打倒され、バクダッドを都とするアッバース朝が創始される。アッパース朝は、タラス河畔の戦いで唐を撃破し、捕虜にした紙すき工から製紙法を受け継ぎ、製紙法西伝の契機をつくった。アッバース朝の下では、アラブ人の特権は廃止され、イスラム教徒全てのジズヤが免除されるなど教徒間の平等の原則を確立するとともに、カリフが、絶大な権力を掌握する専制君主になり、ここにイスラム帝国が成立することとなった。アッバース朝は、ハールーン=アッラシードの時代が最盛期で、イスラム文化の黄金期を現出した。

ウマイヤ朝滅亡後、その一族がイベリア半島に逃れ、コルドバを都として後ウマイヤ朝を建て、フランクと抗争しつつ勢力を伸ばしたが、11世紀に滅亡。その後もイベリア半島には、ベルベル族系のイスラム諸王朝が残存したが、カスティリアやアラゴンなどのヨーロッパのキリスト教国のレコンキスタによって勢力が衰退し、ついに1492年のグラナダの陥落でナスル朝が滅亡するとイベリア半島からイスラム勢力は駆逐された。

トルコ民族は初め傭兵、マムルーク(奴隷)としてイスラム世界に進出し、アッバース朝の衰退に乗じて各地に独立王朝を建てた。10世紀ころ建国されたガズニ朝は、インド遠征によってインドのイスラム化の契機となった。11世紀になると、セルジューク=トルコがトゥグリル=ベクの下に勢力を強めてイラン、シリアに支配を拡大し、1055年には、ブワイフ朝を打倒してバクダッドに入城し、アッパース朝のカリフからスルタン(世俗君主)の称号を授けられイスラム世界の実質的支配者となった。このセルジューク=トルコが、ビザンツ帝国に脅威を与え、聖地エルサレムを占領したことが、十字軍遠征の契機の一つとなった。以後の抗争の中でトルコ勢力は各地に分裂していき、セルジューク=トルコの宗家は滅亡する。13世紀未になると、小アジアにオスマン=トルコがおこり、メフメト2世の時に1453年ビザンツ帝国を滅ぼし、16世紀には、カリフの地位を得て大帝国に発展した。

ジハードの推進

異教徒に改宗、ジズヤ、ハラージュの納税、戦闘の三者択一を迫った。ウマイヤ朝までは改宗後もジズヤを課されたが、アッパース朝以後は「コーランか、貢納か、剣か」の言葉に象徴されるように、ジズヤを納めることで改宗を免れた。キリスト教徒、ユダヤ教徒は、当初から聖典の民として、ジズヤの納入で改宗を免れていた。

イスラム帝国の分裂

ウマイヤ朝の滅亡後、王族の一部がイベリア半島に逃れ、後ウマイヤ朝を立て、さらに過激シーア派がカイロにファティマ朝をおこしたので、10世紀初頭には、イスラム帝国は、東カリフ(アッバース朝)、中カリフ(ファティマ朝)、西カリフ(後ウマイア朝)の鼎立となった。






2007-03-10 (土) 21:30:22 (3665d)