イタリア統一

「イタリア統一」についてのメモ。イタリア統一とは…
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イタリアの統一 †

イタリアでは、七月革命の影響でカルボナリ党やマッチーニの青年イタリア党を中心とする統一運動が行われ、さらに二月革命の影響の下にサルディニア国王カルロ=アルベルトの統一運動、マッチーニによるローマ共和国の建設などのリソルディメント(再生)運動が展開されたが、いずれもオーストリアの干渉で鎮圧された。二月革命後、サルディニアではヴィットーリオ=エマヌエーレ2世が即位し、カブールを首相に登用した。カブールは、自由主義的革命を断行し、イタリア統一への英、仏の支援を期待してクリミア戦争にも参加した。
ついでナポレオン3世とプロンビエール密約を結び、イタリア統一に向けてオーストリアに宣戦し、ナポレオン3世の裏切りにあいフランスにサヴォイアとニースを奪われたものの、ヴェネツィアを除くイタリア北・中部に勢力を確立した。南イタリアでは、ガリバルディが千人隊を率いてシチリア・ナポリ王国を征服し、サルディニア王に献じた。こうして1861年には、ヴェネツィアと教皇領の一部を別にしてイタリアの大半がサルディニアに併合され、ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世を国王とするイタリア王国が成立する。1866年には、普墺戦争に参加した代償として、ヴェネツィアを回復し、さらに1870年の普仏戦争に乗じて教皇領を占領し、1871年にはローマに遷都し、イタリア統一をほぼ完成した。
イタリア人の住むティロル、トリエステは、オーストリア領として残存した。これらの「未回収のイタリア」の併合は第一次世界大戦後。

未回収のイタリア
イタリア統一後もオーストリア領として残存したイタリア人の住むティロル、トリエステ。「未回収のイタリア」の併合は第一次世界大戦後のサン=ジェルマン条約によって。






2007-03-10 (土) 21:30:24 (3879d)