オリエンタリズム

「オリエンタリズム」についてのメモ。オリエンタリズムとは…
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Orientalism

オリエンタリズム †

 デリダは西洋哲学の根幹にヨーロッパ中心主義があることを指摘したが、その具体的な姿を明らかにしたのがサイードだ。

 18世紀以来のヨーロッパ人は、「好色で怠惰、自分の言語や地理などを把握できず、独立国家を運営する術もなく、肉体的にも劣っている」存在として「東洋人」のイメージを作ってきた。「東洋人」は自分の国のことを語りえないとして、欧米人言語学者、地理学者、鉱山学者などが現地を調査する。彼らを中心に東洋学会、大学での東洋学講座といった「制度」が作られる。制度によって権威とされた知は、植民地政策に利用される。こうして成立した、「東洋(オリエント)」に関するイメージ(表象)と制度、権力の組み合わせ、それが「オリエンタリズム」だ。

 ところが、トルコやエジプトから日本に到る諸地域を一括して「東洋」とよぶ根拠は、地理的・政治的・宗教的・言語的・民族的・経済的・文化的・歴史的など、いかなる観点から見ても存在しない。「オリエントとは、むしろヨーロッパ人の頭の中で作り出されたもの」なのである。

 しかもそれは、ヨーロッパ人のアイデンティティを確立するためのものだった。「東洋人」という表象によって、本来把握しきれるはずのない多様な人々を一気に把握できる。そして「そうした東洋人とは異なるもの」すなわち「彼らのように怠惰でも、好色でも・・・ないもの」として「ヨーロッパ人」の自己理解が成立する。「西洋/東洋」はデリダ的二項対立なのである。

 現在の日本人の多くは、オリエンタリズム的世界覿を持っている。サイードの批判は、日本人にとっても他人事ではない。

オリエンタリズム †

「オリエンタリズム」とは一般には,「西洋が東洋(オリエント)に抱く異国趣味」とか「西洋による東洋研究」という意味だが,サイードは,東洋についての知を産出するこの文化的システムが,東洋を支配し操縦する政治的権利のシステムにもなっていると主張する。
 彼によれば,「東洋」は地理的区分を示すたんなる名称ではなく,西洋による政治的・文化的構築物である。オリエンタリズムは,西洋が東洋という「他者」を疎外することで自らの文化の力とアイデンティティーを獲得し,それによって同時に「東洋」を管理し,支配するための文化装置なのである。
 そうだとすれば,被支配者の側も,これに抵抗するために,「真の東洋」へ回帰するわけにはいかない。東洋独自の本質を想定すれば,西洋/東洋の区別を受け容れ,この文化装置の罠に陥ることになるからである。






2007-03-10 (土) 21:30:59 (3793d)