カレツキ

「カレツキ」についてのメモ。カレツキとは…
HOME > カレツキ

カレツキ †

  • 1899-1970
  • ポーランドの経済学者。独学で経済学を学ぶ。
  • マルクスの再生産論を土台に、ケインズとは別個に国民所得の決定を論じてケインズ革命を予告。

著「経済変動論」など。

ポーランドの経済学者。景気論,分配論を研究。ワルシャワの経済研究所,ロックフェラー財団,オックスフォード大学の統計研究所,国際機関などを経てワルシャワ大学で景気変動論を講じる。またポーランドの経済計画委員会で社会主義経済計画論と資本主義諸国の景気分析に従事。巨視的動態論に基づく数学的景気理論を展開し,J. M.ケインズの『雇傭・利子および貨幣の一般理論』とほぼ同時期に類似の理論を展開した。主著『ケインズ雇傭と賃金理論の研究』Essays in the Theory of Economic Fluctuations(1939),“Studies in Economic Dynamics”(43),『経済変動の理論』Theory of Economic Dynamics(54)

ポーランドが生んだ世界的な経済学者。ポーランドのウージに生まれる。グダニスクの工業大学で工学を学んだが、在学中より経済学に関心を抱き、1929〜35年の間、ワルシャワの景気・価格研究所で国民所得論を研究、33年に発表した『景気循環への一試論』で、資本主義経済循環の数理経済モデル(いわゆるカレツキ・モデル)の創始者となった。35年これをもとにした『景気循環の巨視的動態論』を発表したが、これはマルクスの再生産論から出発しながら、ケインズとは別個に、後の「ケインズ革命」に通じる思想を展開した画期的な業績であった。36年スウェーデンに、ついでイギリスに渡り、40年オックスフォード大学統計研究所員となる。戦後46年から54年まで国連事務局経済部次長を務め、55年ポーランドに帰り、政府顧問、計画委員会顧問、経済審議会副議長、コメコン代表などを歴任、ランゲとともに戦後経済の計画化に力を尽くした。66年アカデミー会員となる。61年以降ワルシャワの中央計画・統計大学で教鞭{きょうべん}をとり、社会主義経済成長論の完成に努めたが、68年春の修正主義攻撃に名を借りた同僚の追放に抗議していっさいの公職から引退し、70年4月17日、失意のうちに死去した。






2007-03-10 (土) 21:31:14 (5430d)