コペルニクス

「コペルニクス」についてのメモ。コペルニクスとは…
HOME > コペルニクス

Nicolaus Copernicus ミコワイ=コペルニク(ポーランド名)

コペルニクス †

  • 1473年〜1543年
  • ポーランドの天文学者・聖職者。プロシアの生まれ。
  • 神学・医学・数学・天文学を学んだ。
  • イタリアに遊学、帰国後は聖職につくとともに天体観測を続けた。
    新プラトン主義などのギリシャ古典の影響のもとに「天球の回転について」を著し、従来のキリスト教的宇宙観をくつがえす地動説を提唱し、近代天文学の出発点を確立。

中央日報
【噴水台】コペルニクス
 従来の考え方を完全にひっくり返す画期的な発想をよく「コペルニクス的発想」という。 16世紀にポーランドの天文学者ニコラウス・コペルニクスが地動説を唱えたことに由来する言葉だ。 天動説を否定した彼の地動説は、歴史上最も重要な革命とも称される。

 だが、コペルニクスは己の地動説ほどに革命的だとか大胆な性格の持ち主ではなかった。 むしろ控えめな保守的スタイルだった。 37歳の時には既に太陽を中心に地球が回っていると結論付けたが、堂々と発表できなかった。 論文の草稿を一部の学者に送っただけだった。 異端呼ばわりされまいか恐れたという。 彼がためらっている間にも、地動説についてのうわさは徐々に広まっていった。

 それから30年の後、ついに本に著す決心をした。これにはドイツの若手数学者レティクスの強い説得があった。 初めは匿名での出版を条件としたが、世間の反応を見て実名を書いた。 こうして出版された本が『天球の回転について』だ。 完成本が出されたのは、彼が享年70歳で死亡した後だった。

 聖書の創造論に正面から挑戦したチャールズ・ダーウィンも慎重に慎重を重ねた。 彼が進化論を確信したのは20代の後半だった。 だが彼もコペルニクスと同様に用心深く行動した。 妻に「わたしが死んだ後に出版してくれ」と論文を託している。 彼が『種の起源』を出版したのは、それから約20年後の1858年だった。 長女と六男が死んだ悲しみのあまりに神の存在を疑い、投げやりな気持ちで発表したという説もある。

 コペルニクスとダーウィンは、両者とも革命的な発想をしたが、行動が革命的なわけではなかった。 短期間に世の中を変えようとはしなかった。 現実を念頭に置き、自分の主張を展開するのに数十年待った。 そのため真の革命に成功したのかも知れない。






2007-03-10 (土) 21:32:00 (3702d)