サルトル

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Jean-Paul Sartre

ジャン=ポール・サルトル †

  • 1905−1980。実存主義哲学者として、第二次世界大戦後のフランスで、寵児となった。文学者、劇作家としても活躍。

 ボーヴォワールと結婚したが、ドンファン的愛を終生つらぬいた。

 共産主義にも接近したが、とくに『文学になにができるか』を発表して、文学者の政治への参加をアピールした。晩年は毛沢東主義にも接近し、フーコーとも共同戦線をはった。

 代表作
『存在と無』
『弁証法的理性批判』
小説『嘔吐』
戯曲『悪魔と神』

 サルトルは,フランスのみならず全世界的な規模で,今世紀を代表する知識人だったと言うことができる。

  • 高等師範学枚時代には,その後一生の同伴者となるボーヴォワール(1908〜1986)や,後には決別するものの一時期活動をともにするメルロ=ボンテイ(1908〜61)らと知りあう。
  • 卒業後1933年から34年にかけてベルリンに留学し,本格的に現象学を学ぶ。
  • その後パリにもどってリセの教師を勤めるかたわら,『自我の超越』(1936年),『想像力』(1936年),『情緒論素描』(1939年),『想像力の問題』(1940年)と現象学を踏まえた研究を発表し,1943年の『存在と無』で名声を確立する。
  • こうした哲学者としての歩みと平行して,1938年の『嘔吐』以来多くの小説や戯曲も著して,小説家・評論家としても知られていく。代表作には,戯曲『蝿』(1943年),『出口なし』(1945年),小説では『自由への道』(1945年〜未完),評論集には『シチュアシオン』(1947〜65年),『聖ジュネ』(1952年),『家の馬鹿息子』(1971〜72年)などが挙げられる。

 だが,彼の名前を決定的に知らしめたのは,1945年にクラブ・マントナンで「実存主義はヒューマニズムか」という表題でおこなわれ,翌年刊行された『実存主義はヒューマニズムである』だった。

 これによって無神論的実存主義者としてのサルトルの名前は世界中に知れ渡る。さらに,彼がメルロ=ボンティらと1945年に創刊した雑誌『現代』は,いまなお出版されている。

 この時期のサルトルは,反マルクス主義の立場にたっていた。だが,50年代を通じて次第に共産主義への接近を強め,『弁証法的理性批判』(1960年)の序にあたる『方法の問題』(1957年)では,依然としてマルクス主義の硬直ぶりを批判しはするが,実存主義をマルクス主義の内部に人間を回復する思想と位置づけるようになる。

 これ以降のサルトルは,1964年のノーベル賞辞退からもうかがえるように,自分なりのスタンスを維持しつつ,独自の言論活動を実践していく。世界各地を精力的に講演して回り,具体的な問題について積極的に発言し活動する知識人として生き,1980年に亡くなった。






2008-05-26 (月) 17:10:46 (2921d)