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「トルコ」についてのメモ。トルコとは…
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トルコ:EU加盟問題 †

 欧州・アジア両大陸に領土がまたがり、欧州を近代化のモデルとしてきたトルコにとって、EU加盟は悲願。経済改革や少数民族の権利保護などの社会改革を通じ、加盟への環境整備を進めてきたが、現在のEU加盟国はすべてキリスト教国でイスラム教国トルコの加盟に対する抵抗感も根強い。経済面では2003年のトルコの輸出の52%、輸入の46%が対EUとなっている。

キプロス問題

最大の案件はトルコが国内の人権問題を、欧州の水準で受け入れられるまで改善できるかどうか。経済的にもいまのインフレ率を引き下げることができるか。失業率を引き下げられるかどうかも、大量の移民流入をおそれるドイツやフランスにとっては、無視できない条件である。これだけ見ても実際の加盟までの道程は険しそだが、それでも欧州議会としては、受け入れの姿勢を示した。

 もちろんトルコの加盟問題はいまに始まったことではない。それなりに長い期間をかけて根回しをしてきた結果である。比較的最近でもジスカール・デスタン前仏大統領による反対意見が大きく取り上げられた。トルコEUを実質的にキリスト教連合とするものだと猛反発したが、実際にフランス国内では加盟に消極的な意見も多い。一般的な市民感覚で言えば、「なぜトルコがヨーロッパなのか?」ということだろう。

トルコの加盟が認められれば、モロッコをはじめとする地中海沿岸諸国からウクライナやロシアまでを受け入れざるを得なくなるという危惧も、論調としては多い。こうなると、EUに賛成だった人々までが、いったい何がヨーロッパなんだと首を傾げはじめる。

拡大がEUも加盟する国にとって、いいことなのかどうかと問い直す側にも、耳を傾けなければならないだろう。

見方を変えれば、「トルコ」のおかげで、ヨーロッパは自分自身について考える機会を得たとも言える。長い目で見た場合、高齢化社会を迎えるEU諸国が若年労働力を必要とすることは多くの人が認めるところだが、経済的な打算を抜きにしても、トルコの加盟はEUにとって、歴史的なステップになるだろう。
 
 ヨーロッパに外国人として暮らした経験から言うと、ヨーロッパとは「境界」の概念と密接に結びついている。そもそも「ヨーロッパ」の起源神話は、小アジアつまり今日のトルコから連れてこられたエウロパに基づく。ヨーロッパとは、その起源に照らしてみれば、境界を越える者である。民族大移動を持ち出すまでもなく越境を繰り返し、数々の戦争を通して国境の書き換えを続けてきたのが、ヨーロッパである。もしアイデンティティを拡張することが、ヨーロッパの本質であるならば、何十年かかろうと欧州連合は拡張をやめないはずである。大西洋から太平洋までユーラシア大陸の北半分が「ヨーロッパ」と呼ばれる日が来てもおかしくはないし、そこで拡張を止めるとは限らない。おそらく50年後のヨーロッパのイメージは、現在とは大きく異なるものになるだろう。

トルコが問うEUの将来像(日経社説)

 トルコは西洋と東洋の接点にあるイスラム教国である。キリスト教文化に根差して発展した欧州の仲間の輪に、政治、経済、社会の様々な価値観を共有して加わることができるのか。交渉は簡単ではない。最短でも10年はかかるとの見方が強い。

 9.11事件を機に欧州各国でイスラム教徒を嫌う国民感情が一段と強まっているのも事実。民族や文化、言語の多様性を認め合うのが欧州統合の精神だが、トルコとの交渉のように宗教の壁を乗り越えるのは過去に経験がない大きな挑戦となる。

 現実にはEUはトルコとの同盟関係を強くする必要に迫られている。同国は中東や中央アジア・コーカサスの紛争多発地帯に近く、地政学的に地域安定のカギを握る重要な存在になっているからだ。さらにカスピ海とイラクの二大産油地と欧州を結ぶ回廊として、エネルギー安全保障上の重みも増している。

 経済的にも1996年に結んだ関税同盟により、実質的にEUの自由貿易圏内にある。欧州市場への輸出拠点として外国からの直接投資が増えており、日本からは自動車分野を中心に60社以上が進出している。人口約7000万人で増加中の国内市場も、企業にとって大きな魅力だ。

 世俗主義と西欧型民主主義を掲げるエルドアン首相は、トルコ国内でカリスマ的な人気がある。安定政権が続く今こそ加盟交渉を軌道に乗せたいというのが、仏独を枢軸とするEUの指導者の本音だろう。

 トルコとの対話を通じて、欧州は「どこからどこまでが欧州か」「欧州人とは誰のことか」という難問の答えを探し出し、欧州の新しい自画像を描かなければならない。その歴史的な大事業が不調に終わり、欧州社会がトルコ排除の方向に動けば、EUのすぐ隣でイスラム原理主義が勢力を増す結果にもなりかねない。

 新段階に入ったEU拡大は、欧州だけの問題ではない。グローバル化が進む世界での地域同盟と国家のあり方を問いかけている。

 欧州連合(EU)の加盟問題を取材するためトルコを訪れたが、EU加盟を熱望する声が意外に少ないことに驚いた。若手企業家らでつくるトルコ青年実業家協会の幹部は「EU切望の時期は過ぎた」と言い、「トルコの誇りを傷付けてまで加盟に固執する必要はない」と語気を強めた。

 背景には、EUへのぬぐいがたい不信感がある。トルコ第3の都市イズミルで行われた大学生の世論調査では、全体の74%が「EU加盟に賛成」と答えたが、うち45%は「EUがトルコ加盟を認めると信じていない」と答えた。一口に加盟賛成が7割を超えると言っても、その熱意はEUへの不信感ですっかり冷え込んでいるのが実態だ。

 トルコは63年にEUの前身と連合協定を締結して以来、41年間もEU加盟を夢見てきた。ここ数年は加盟条件を満たすため民主化や人権改善などを大車輪で進め、EU欧州委員会の拡大担当委員に「加盟条件は整った」と言わせるだけの成果を上げた。だが、EU側は首脳会議の直前になって、加盟条件になかったトルコと緊張関係にあるギリシャ系キプロス共和国の承認を新たに追加。トルコのエルドアン首相はこうしたやり方に「差別だ」と怒りの声を上げた。

 第一次大戦後、オスマン・トルコ帝国に代わって誕生した新生トルコにとって、欧州は常に近代化のかがみであり、手本だった。国民の99%がイスラム教徒でありながら、厳格な政教分離の原則を貫くことで、自分たちが欧州の一員として認められる日が来ると信じてきた。半面、西洋へのあこがれやオスマン時代からの自尊心、イスラム教徒としてのアイデンティティーのはざまで、トルコ人は自分たちのあるべき場所を探しあぐねてきた。

 EU首脳会議はトルコに対し、来年10月3日からの加盟交渉開始を約束したが、交渉には10〜15年が必要とみられている。「トルコ人は自分たちが向かおうとしている場所に不安を感じています。10年後に同じ道を歩いているかどうか、誰にも分かりません」。

 EU内には、かつて欧州を脅かし、現在はイスラム系移民を西欧へ送り出す国として、トルコに対する拒絶反応が根強い。こうした世論などを意識し、EU側は、差別的とさえ受け取れる様々な交渉条件を受け入れさせた。

 交渉開始は必ずしも加盟を保証せず、トルコに人権尊重などのEU理念に反するような行動があれば、交渉を停止するなど、EUの拡大交渉史上、前例のない厳しさである。このため、交渉は、少なくとも十年はかかるとされる。

 EUが求めるギリシャ系のキプロス共和国承認問題でも、トルコはつらい選択を迫られた。

 キプロス共和国は、トルコ系の「北キプロス・トルコ共和国」との統一を拒んだ経緯があり、その承認にはトルコ国内から強い反発が出ていた。結局、加盟交渉を開始する前に、トルコが「暗黙の承認」を与えることで妥協が成立した。

 トルコの約七千万人を数える人口や、一人当たりの国内総生産(GDP)がEU平均の七分の一という「貧困」も、EU側の懸念材料だ。それを吸収するコストは計り知れない、というのが、トルコのEU加盟に反対する政治指導者らの論拠の一つになっている。

 にもかかわらず、EUは交渉開始を決めざるを得なかった。トルコの民主化が着実に進み、死刑制度も廃止された。EUとしても、これ以上、交渉開始を先延ばしする理由がなくなった。

 地政学的な見地から、トルコのEU加盟を後押しする主張もある。

 その加盟が実現すれば、EUの国境線は、シリア、イラク、イランなど中東諸国のほか、黒海やロシア南部のコーカサス地方とも接する。EUが将来、これらの地域への影響力を強めるために、トルコをEU内に取り込む意味は大きい、というわけだ。

トルコ共和国は1923年に建国されて以来、一貫して「西欧化=近代化」という路線をとってきた。

国民のほとんどがイスラム教徒であるにもかかわらず、なぜヨーロッパを目指してきたか。
オスマン帝国は第1次大戦で崩壊した。
その後、
独立戦争の指導者で
イスラムが政治にかかわってきたオスマン帝国の伝統を徹底的に否定した。

政教分離の徹底。イスラムを政治から

世俗主義
公立の学校でアゴひげや女性のスカーフやベールを着用することを禁じた。

ヨーロッパは国家とキリスト教会を切り離すことで

EU加盟は西欧化政策のその総仕上げ。

EEC、将来の41年を経て、加盟交渉のスタート地点にたった。民主化・人権問題クルド問題、インフレ・財政赤字などを理由に加盟申請を拒否。

深い意義がある。9.11以降、ヨーロッパやアメリカとイスラムの緊張を緩和できるのではないか。イスラムの過激派テロを抑止するには、ヨーロッパにトルコを取り込んで、イスラムと。西欧社会はイスラムを疎外していないというメッセージ。
 東欧諸国が先に加盟したことに、ヨーロッパはしょせん「キリスト教クラブ」であるとトルコ人は落胆した。

 加盟は不確かで、10年以上待つこととなる。人権擁護や民主化について監視を受ける、経済面では農業補助金。EUの財政を悪化させる。

 EU各国のトルコ系移民たちが懸念の材料。仮にトルコ
自由移動を与えるべきではない。
宗教文明からくる違和感。
世論の動向は厳しく。

ヨーロッパとイスラームという試金石。
アメリカの単独行動主義。イラク・アフガニスタン侵攻。文明の衝突
隣人としてのイスラム

【噴水台】トルコ †

 トルコはヨーロッパなのかアジアなのか。 地理的には、ヨーロッパとアジアを分ける境界は、ウラル山脈〜カスピ海〜カフカス山脈〜黒海〜地中海へつながっている。 このように考えれば、トルコは97%がアジアで、3%がヨーロッパとなる。

 しかし歴史的に見れば、トルコは西洋文明の源流である小アジアの中心だった。 鉄器文明をおこしたヒッタイト、エーゲ海を間に置いてギリシャ・ローマとにらみ合いながら古代地中海文明の覇権を争ったペルシャの地だ。 アブラハムが生まれ、ノアの箱舟があった旧約聖書の背景であり、『オデュッセイア』の作家ホメロスと、歴史学の始祖ヘロドトスの故郷だ。 東ローマ帝国の千年の首都コンスタンチノープルは、ヨーロッパとアジアを分けるボスポラス海峡を有する今のイスタンブールだ。

 ヨーロッパ人が、イスタンブールを非ヨーロッパと認識した最も大きい契機は、イスラム化だろう。 1453年、オスマントルコがコンスタンチノープルを占領し、イスタンブールと名前を変えた。 永遠を象徴する巨大なドームで名高い「ソフィア大聖堂」は、イスラム寺院に変わった。

 オスマントルコを継承したトルコもまた、国民の99%がムスリムだ。 それにもかかわらず、トルコがほかのイスラム国家とは異なり、ヨーロッパの一部として受け入れられる背景の一つには、国父ムスタファ・ケマルの革命的な西欧化の努力があろう。 トルコはイスラム国家の中で、唯一世俗主義を建国理念の一つにあげた。 全能の神アラーであっても世俗の生とは分離されるべきだとする西欧式の政治観だ。 イスラム最高指導者を意味するカリフ制をなくし、イスラム律法の代わりに西欧法体系を持ち、アラブ文字ではなくラテン文字を使用した。 ソフィア大聖堂は寺院を経て博物館に変わった。

 そのためトルコは現在、米欧軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)の加盟国であり、ヨーロッパサッカー選手権大会のメンバーで、ユーロヴィジョン・ソング・コンテストの参加国だ。 しかし、最も重要なEU加盟は、数十年間延期されてきた。 99年に公式候補国となって以降、トルコは欧州連合(EU)のニーズに合った改革に尽力してきた。 そしてついに今月6日、EU執行委員会が「加盟交渉の開始勧告」を発表した。 正式加盟の資格を備えているという一次合格発表だ。 貧しいムスリムを仲間として受け入れることを嫌がるヨーロッパ人の心の底は、9・11テロ以降さらに強まった。 殺伐とした衝突の時代に、EUとトルコは、ともに文明融合の実験を開始した。






2007-03-10 (土) 21:33:15 (3726d)