ナショナリズム

「ナショナリズム」についてのメモ。ナショナリズムとは…
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nationalism

ナショナリズム †

  • 一つの文化的共同体(国家・民族など)が,自己の統一・発展,他からの独立をめざす思想や運動。国家・民族の置かれた歴史的位置の多様性を反映して,国家主義・民族主義・国民主義などと訳される。

日本の論点

  • 小熊英二と上野陽子との共著『〈癒し〉のナショナリズム』(慶應義塾大学出版会)において、若者たちに見られる傾向を「新しい教科書をつくる会」のなかに見出し、「〈癒し〉のナショナリズム」と名付けた。
    • 「日本人としての誇り」を強調する「つくる会」が、60歳以上の層と20歳代および30歳代の層に分かれることに着目し、価値観の定まらない若者たちが、この運動に〈癒し〉を見出したのだと指摘。

社会学者の宮台真司は、「つくる会」が掲げる歴史観を批判して、「オヤジの慰撫史観」と形容。しかし上記のような二層構造を踏まえるならば、(中略)年長者の「慰撫史観」であると同時に、〈若者の癒し史観〉でもあるといえる(『〈癒し〉のナショナリズム』慶應義塾大学出版会)

 この運動が従来の保守系運動とは比較にならないほど若年層に影響力を発揮した理由は、年長者の団体に「客寄せ」として若い世代のメンバーを加えたのではなく、当初は価値観の揺らぎから脱出するために始まったアモルフな動きに、保守系ナショナリストの「保守のレトリック」が与えられたことで形を整えていった運動である点にある

『心のノート』と教育基本法改正問題 †

 東京大学教授の高橋哲哉はもっと明確な政治的な意図のなかで位置づける。高橋によれば道徳の副教材として2002年春に文部省が小中学生に配布した『心のノート』も、「つくる会」の運動も、そして教育基本法改正への動きも、すべて国家の道徳教育再編の一環なのである。

新学習指導要領、君が代・日の丸の押し付け、「つくる会」教科書の検定合格、「心のノート」導入、「愛国心」通知表の登場――ひとつひとつが学校教育への国家の論理の浸透を表しており、こうした教育の国家主義的再編がいまや、教育基本法「改正」によってついに完成されようとしている(『「心」と戦争』晶文社)

 さらに、教育基本法の改正を推進する自民党の教育基本法検討特命委員会は、「健全な国民精神」を称揚する団体「日本会議」と深い結びつきがあり、同会議は「つくる会」の背後にあって運動を支えてきたと指摘。しかも同会議を母体として結成された「新しい教育基本法を求める会」は「つくる会」とメンバーが大幅に重なっているという。

 いったん教育基本法に「愛国心」や「日本人としての自覚」が盛り込まれるや、歴史教科書でもっとも適切なのは「つくる会」の教科書であるということにもなりかねない。そういう事態がけっして冗談ではなく、ありうるかもしれない(同書)

 高橋の議論は、「つくる会」が「草の根運動」的な性格をもっていることや、「つくる会」教科書が一般の中学校ではほとんど採用されなかったという現実をまったく無視するものだが、こうした諸運動がグローバル化と関係があることを指摘している。高橋は「求める会」が森前首相に提出した「要望書」について批判する。

 たんなる復古というのではなく、グローバル化の時代のなかで新しいナショナリズムを立ち上げようという(中略)意図が明白です。この要望書を見ることによって、教育基本法「改正」の動きのもっている思想性の理解を深めることができる(同書)

「つくる会」批判への反批判 †

 ナショナリズム運動の中心であるかのように批判された「つくる会」側からの反発は、小熊英二に対する反批判として現れた。電気通信大学名誉教授で「つくる会」前会長の西尾幹二は「諸君!」2003年九月号で、戦後知識人を再評価した小熊の著作『〈民主〉と〈愛国〉』(新曜社)を激しく批判。

 もう誰も相手にしてくれなくなった「戦後進歩主義」あるいは「戦後左翼主義」は、彼らにとっては心を慰めてくれるなによりもの〈癒し〉であるであろう。しかし今の国民の大部分の者には退屈であり、終った話であり、間違いとわかった歴史誤認である

 西尾は、むしろ古めかしい戦後進歩主義的な議論に耳を傾けている者こそ〈癒し〉に浸っているのだという。また、「つくる会」現会長で東北大学教授の田中英道は「正論」2003年一〇月号で小熊氏の『〈癒し〉のナショナリズム』における「つくる会」批判にまっこうから反批判を行った。

 田中氏は、小熊氏の「カルチュラル・スタディ」的な言葉づかいのなかに、実は左翼的な党派性があるのだと批判。それはナショナリズムの評価において顕著だという。

(小熊氏は)戦後の共産党のナショナリズム運動を持ち上げる。(中略)左翼からのナショナリズムは肯定でき、保守派からのそれは非難されるべきだ、という『党派性』が露に出ている

 こうした反批判では、社会主義諸国の崩壊によって戦後進歩主義の誤謬が明らかになったこと、さらに日本国内の左翼政党の後退という歴史的事実が強調され、新しいナショナリズムへの批判は、そうした現実を無視した妄想だとされた。

グローバリズムのなかで屈折する「愛国心」 †

 世界的な視野のなかでみれば、ナショナリズムや愛国心の隆盛は、国内の知識人問題と党派性だけで論じ切るわけにはいかない。思えば「つくる会」に見られた「分裂」も、アメリカのグローバル戦略をめぐる議論がきっかけになっていたのだ。

 たとえば、こうしたグローバル化のなかで、都立大学の宮台真司助教授は、「亜細亜主義」の復興を主張するようになった。

「ボーダーレスな時代だから国民国家にこだわっていては駄目だ」などと言う。時代錯誤も甚だしい。私たちは領域的にも力の大きさ的にも国民国家=ネーションステイトを超える主体を持たない。私たちが世界を変えようと思ったら、ネーションステイトをハンドリング(操作)するしかない

 グローバリズムに対抗するには、一方で国民国家を相対化する亜細亜主義による連合を形成し、他方では国民国家を操作するという問題に取り組むべきだというのだ(朝日新聞2003年八月一八日付)。

 また、東京大学の姜尚中教授は、西部邁・田原総一朗両氏との座談会『愛国心』(講談社)のなかで、現在のグローバル化とナショナリズムとの奇妙な関係を説明しようと試みている。

イラク戦争におけるアメリカとの関係を見たときに、なぜここまで先験的にアメリカへの帰属意識を持つのか不思議で仕方ない

問題は、今、愛国主義について語るということが即刻アメリカへの忠誠心になってしまうというねじれです。この意味でまさしく日本は植民地国家

 しかし、国民国家の歴史は常に諸勢力のなかで自立を試みる歴史だった。日本総合研究所理事長の寺島実郎氏は、この振り子運動を克服するためには「自らの運命を自らが決める方向へと歩みだす」「開かれたナショナリズム」を模索すべきだと論じ、改めて自尊自律を強調している(朝日新聞二〇〇三年八月一四日付)。

本来、ナショナリズムとは自らの民族の自尊自律を求めた能動的意思であるはずだが、幕末維新の「開国」以来、日本のナショナリズムは結節点を求めて常に『欧米』と『亜細亜』の間で揺れ動いてきた






2008-07-17 (木) 00:49:45 (3171d)