ナチズム

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Nazism

ナチズム †

  • ヒトラーによって指導されたナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)の運動・思想・体制を総称していう。

 1918年に始まるワイマール体制は10年あまりのうちに危機に見舞われた。そして1929年の大恐慌はヨーロッパをはじめとする世界的危機であったが、なかでもドイツは、国内市場が狭隘であったためにその影響を直接受けた。この危機によって市民のなかに、ベルサイユ条約とその賠償問題に対するルサンチマンや、インフレへの危機感が舞い戻ってきた。ナチズムの運動はこうした危機状況を背景に、そこに置かれた大衆の錯綜した意識や政治的不安を統合し、それに一定の形態と方向性を与えた。ナチズムはまた、イデオロギー的な統合に際しては、国民的な危機意識を媒介にナショナリズムを高揚し、民族共同体的な意識を形成した。

 ナチズムの支配体制への移行は、ブルジョア的な議会制民主主義の解体の過程であった。ヒトラーの権力掌握は1923年のミュンヘン一揆に失敗し、以後議会主義路線に切り換えたときから準備されていた。ナチスはこれによって議会への進出をはかるとともに、突撃隊(SA)を主力とした暴力やテロリズムによる武力的な路線をも歩むことになる。こうして1933年1月ヒトラーは首相に就任する。このナチスの権力掌握についてはしばしば「疑似革命」という言葉で表現される。同年三月には授権法が制定され、政府(=ナチ党)は憲法にもとづく国会の協賛なしに法律を制定する権利をもたされた。
 ナチスはこうして全面的権力の掌握に向かって、民主主義的国家の残滓を清算し、一元支配機構を備えた権威主義的国家へと転換をはかった。ヒトラーの独裁体制下には、警察組織、民兵組織、ヒトラー青年団などが発展していた。ナチス体制下で主役を演じた突撃隊も34年のレーム事件を契機に解体され、以後、親衛隊(SS)が主役の座にのしあがった。36年に設けられた武装親衛隊は、当初21万ほどであったが、戦争末期には100万に膨れ上がった。親衝隊は全警察機構を支配下においた。そのほか強制収容所はナチズムの残虐を象徴する施設であった。

 ナチズムの思想は、ヒトラーの『わが闘争』やアルフレート・ローゼンベルクの『二〇世妃の神話』などに凝集されている。ナチスは反民主主義、反議会主義、反資本主義、反ユダヤ主義などを掲げ、「血と土」から生じる民族共同体に思想的基盤を求めた。そしてその民族共同体は最高指導者によって指導されるべきであるという「指導者原理」が組織論として取り入れられた。また『二〇世紀の神話』は、ゴビノーやチェンバレンの人種理論に依拠しながら、アーリア人種の優越性を主張した。反ユダヤ主義はヒトラーの独裁体制時代を通じて一貫していた。これらの思想は、ナチズムによってイデオロギー的統合手段として利用された。






2008-03-12 (水) 16:45:21 (3359d)