ノージック

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ノージック †

  • ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』(1974)
  • ノージックは,ロックの議論から多大なるインスピレーションを得ており,20世紀になって展開された福祉国家型自由主義を,自由主義の本質からの逸脱であると断じる。

 ノージックによると,人がある財に対して権利をもつのは,その財が正当な手続きによって獲得されたか,もしくは正当な手続きによって移転されたものである場合のみである。そのような正当な所有物に対し,人々はそれを思うがままに処分する絶対的権利としての「権原」をもつ。

たとえはアーティストは,自分が制作したCDの売上高に対して,応分の「権原」をもつ。これがノージックの考える所有権の実体であり,それは政府といえども侵害できない絶対的な権利である。

そこで問題となるのは,福祉国家が課税というかたちで,勤労収入の一部を他の人間に強制的に移転することの是非である。ノージックは,そのような移転には何の正当性もないと断じる。課税を通した所得の再分配とは,その人の労働の成果の一部を巧妙にかすめ取るという点で,強制労働と何ら変わることのない個人の尊厳の著しい侵害である。先はどのアーティストの立場からみれば,自分が同意もしていないのに,いつの間にか,苦労して制作したCDの売上代金の一部が見も知らぬ他人の財布に入ってしまうということに等しい。

また,仮にロールズ的な格差原理に基づいて政策的に所得の再分配がなされたとしても,分配された所得を各人が自由に移転することができなければ,そのような再分配政策は意味をなさなくなるであろう。お気に入りのアーティストのCDを購入するファンは,その代金の一部が本人の手に渡ることを望むのであって,それが他の人間に勝手に移転されることには納得がいかないはずである。政府による課税とはまさにそのような勝手な移転の強制にほかならず,その意味で,アーティストの「権原」のみならず,ファンの「権原」をも侵害しているのである。

 国家は,生命や契約や所有権に対する個人の権利を防衛するというごく限定的な役割のみを果たせばよく(「最小国家」),福祉国家が提供してきた一連の公共サービスは,もしそれに類するものが必要であるなら,各人が任意に加入する民間の組織で十分代替可能であるというのである。

 ノージックの議論は,国家とは,個人の不可侵の権利を保護するという究極目標のための手段であるという,自由主義的な国家観を極限にまで突き詰めたものである。彼が理想とするのは,多様な価値観をもつ完全に独立した個々人が,自らが選んだライフスタイルを自由に追求することのできる社会である。そこでは,すべての人間が自分の人生を生きることができ,だれかのために犠牲になったり,他人の幸福実規のための手段とされてしまうということがない。

ノージックとロールズ †

この点で,ノージックはロールズの格差原理を批判する。ノージックによれば,格差原理を実質的に支えているのは,社会を構成する個々のメンバーの才能を社会全体の共通資産とみなすロールズの基本的発想である。このような発想は,個人問の相違や独立性をいたずらに無視し,才能ある者や人並み外れて努力する者を他人の福祉のための手段の位置に貶めてしまう。それは,単にフリーライダーの存在を許すという点で問題なのではない。各人が自分の個性を思う存分伸ばすことを妨げるという点でより深刻なのである。

 ノージックとロールズとの対立をどのように見るべきか。実のところ,ロールズもノージックも,各人が自由に自分の人生の目的を追求できる社会を理想としているという点では,さほど大きな違いはない。両者の相違は,もっはら,個人の自由と権利とがよりよく保障されるために必要な条件は何かということについての認識の相違に根ざす。すなわち,ロールズが,すべての人間が実際に自由を享受できるためには,ある程度の経済的・社会的平等が必要であると考えるのに対し,ノ〜ジックは,不平等の是正の仕方によっては,肝心の個人の自由に対する著しい侵害が起きかねないことに警告を発するqである。その意味では,この二つのタイプの自由主義を,それぞれ,平等主義的な自由主義とリバタリアン的な自由主義と呼ぶこともできる。

 アメリカの実際の政治過程において,ロールズの議論が1970年代の民主党の政策を側面から支援する機能を果たしたように,ハイエクやノージックの議論は,80年代の共和党政権の新保守主義的改革に示唆を与えた。80年代以降今日にいたるまで,社会的・経済的平等に重点をおく福祉国家型の自由主義と,個人の選択の自由を強調する自由主義との間の対立は,多くの先進諸国における主要な政治的争点の一つとなった。日本においても,自民党・中曽根政権のころから,責任ある強い個人を高く評価し,規制緩和による自由競争の導入を訴える勢力が台頭し,この対立軸が次第に現実味を帯びたものになった。






2007-03-10 (土) 21:33:37 (5015d)