ポ−ル・マ−ラ−・スウィ−ジ−。
1942年に著述した『資本主義発展の理論(The Theory of Capitalist Development)』は、マルクス主義を明快に説明し、それを経済・社会的な分析道具に使う方法を提示したと評価され、60〜70年代、欧州で、左派運動の理論的指針書に位置付けられた。 スウィージーは、また、資本主義の根本的な矛盾が、先進国と発展途上国の関係から表出されると指摘し、ポール.A.バランらとともに、従属理論の基礎を築いた。
20世紀後半、米国で最も有名なマルクス経済学者(J.K.ガルブレイス)、急進的経済学者らの代父(ウォールストリートジャーナル)などとされたポール・スウィージーは、ニューヨーク・ファーストナショナル銀行(シティ銀行の前身)副頭取の末っ子に生まれ、ハーバード大学を卒業した。 しかし、英ロンドン政経大学に1年間にわたって留学し、33年にハーバード大大学院に戻ってきたスウィージーは、自分のことを「無知だが、確固たるマルクス主義者」と定義付けた。 大恐慌を体験し、英国でJ.ロビンソン、オスカー・ランゲらと交友しながら、マルクス主義者に変わったのだ。
当代の碩学、シュンペーター・ハーバード大教授は、大学院生のスウィージーを非常に大事にしたが、2人の目指すところは、すでに遠ざかっていた。 スウィージーは、後日「私がハーバードで習った主流経済学は、20世紀の主要事件と傾向を理解するのにほとんどプラスにならなかった」と話すほどだった。
母校で教授職を得られなくなると、未練を捨てて学界から離れたスウィージーは、49年に、左派月刊誌のマンスリーレビュー(The Monthly Review)を創刊した。 マッカーシズムの狂風が米社会を揺るがしていた当時、容易に考えられないことだった。 購読者は、全盛期の約1万5000人から現在およそ7000人に減ったものの、同誌は今でも依然として社会主義者のための「ノアの箱舟」の役割を果たしている。
主流社会で、簡単に社会的地位を確保できる背景と才能を備えていたにもかかわらず、社会主義者として生涯を送ったスウィージーが、先月末、94歳で永眠した。 人間の解放と自由、社会の進歩について絶えず探求し実践してきた同氏の一生は、理念を離れて、人類の貴重な遺産のひとつに評価され得るだろう。