ポスト・ケインジアン

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post-Keynesian ポストケインジアン

ポスト-ケインジアン †

  • ケインズ以後、彼の経済学を継承し発展させた学者たちの総称。

R = F =ハロッド
A = H =ハンセン
L = R =クライン
J =ロビンソン
J = R =ヒックスなど。

  • 第1のジェネレーションは,ケインズの影響を強く受けており,その理論の長期化を意図すると同時に,価格論として寡占市場を前提とするというような共通地盤を持っていた。
  • ハロッドは経済の適正成長率を明らかにする理論を提出し,カレツキカルドアは分配理論や景気変動論を構想し,ロビンソンは,新古典派の理論を批判して,資本論争や限界生産力説批判を続け,いずれも学界で大さな地位を占めた。
  • しかし、それに次ぐ第2のジェネレーションはスラッファの経済学の流れをも受け新古典派と激しく対立しているが,新しい理論を提起することに苦渋し,その主流はイギリスを離れイタリアに移っている。

1950−60年代にかけて、経済学の主流は新古典派総合であった。これは新古典派のミクロ理論とケインズのマクロ理論とを統合した理論ということで、提唱者であるサムエルソンにより新古典派総合と名づけられたものである。新古典派総合によれば、マクロ的需要管理問題に対してはケインズ経済学に依拠した財政金融政策が有効であり、適切なマクロ政策により完全雇用が維持されるなら、そうした経済環境下での価格決定や資源配分の問題に対しては、新古典派のミクロ理論が明らかにしているように市場の価格メカニズムが有効に機能し、最適な資源配分を達成する。

しかし、新古典派総合によるミクロとマクロとの統合は、理論上では必ずしも首尾一貫したものではなかった。

ミクロ理論が想定している価格メカニズムが完全に機能するなら、労働市場を含めたすべての市場で自発的に需給が均衡し、したがって非自発的失業が存在する不完全雇用状態になるということはありえない。
ミクロ理論が想定している世界では、完全雇用を実現するための財政金融政策など存在する余地がないのである。

新古典派総合では、市場経済は自動的に完全雇用を達成する傾向をもつというミクロ理論の経済ビジョンが基本的に承認されており、それにもかかわらず現実に完全雇用が成立しないのは、市場メカニズムにとって外的な制度的摩擦要因等により価格や賃金が硬直化したり、価格や賃金の調整が遅れたり、外的ショックがそれらと結びついたりするためとされる。理論的には失業は価格メカニズムの働きにより自動的に解消するはずだが、現実的判断としてそれには時間がかかりすぎるとか、賃金や価格の硬直性の故に価格メカニズムが充分に働かないと考えられ、より手っ取り早い完全雇用政策として財政金融政策が提唱される。

したがって、新古典派総合による新古典派のミクロ理論とケインズのマクロ理論との統合は、プラクティカルな政策的立場からの折衷という性格が強く、理論上は首尾一貫したものではなく、理論的には新古典派の考え方に依拠したものだった。

1960〜70年代と時がたつにつれて、新古典派的側面が濃くなり、前面に出てくることになる。

価格メカニズムによる完全雇用の達成という予定調和的な新古典派の経済ビジョンでは、さまざまな不均衡を生み出しつつ、ダイナミックな運動をする現代資本主義を適切に分析・把握することはできないと考え、ケインズの本来の考え方に依拠しつつ、新古典派に代わる新たな理論的フレームワークを模索する動きの中から形成されてきたのが、ポスト・ケインジアンの経済学である。

ポスト・ケインジアンの立場からの先駆的業績としてはいロビンソンの蓄積論、カルドアやパシネッティの成長経済下の所得分配論が挙げられる。その後の研究の進展としては、一方では、投資主体としての寡占的法人企業の行動を軸とする経済の長期動態分析が、ウッド、クリーゲル、アイ
クナーなどによって行われ、他方では、不確実性下での資本蓄積プロセスを貨幣・金融的側面や資産ストック価格と関連づけて分析する試みがデヴィッドソンやミンスキーによって行われてきた。

ポスト・ケインジアンの経済学は、共通に合意された明確な理論的フレームワークがあるわけではないが、さまざまな観点からの理論的試みに共通する特徴は、歴史的時間、不確実性、制度的配置を理論構成上欠かせない要因として重視する。

  1. 経済は歴史的時間の中で進行するプロセス。歴史過程において時間は非可逆的であり、一方向的にしか進行しない。歴史的時間における現在とは、既知であるが取り返しのつかない過去と未知で不確実な未来との分岐点である。過去に制約されつつ、現在の決断により未来が形作られていく。運動は前向きにしか進行しない。経済システムの動態的運動は、こうした歴史的時間の流れの中の因果的関係として把握されなければならない。新古典派の理論では市場の価格メカニズムが万能視されており、歴史的時間が停止された世界において価格メカニズムが働いた結果としての均衡状態が描写されるだけであり、歴史的時間の流れの中の因果的関係といったものは存在しない。
  2. 歴史的時間の流れにおいて将来は未知で不確実。将来のことは不確かであり、将来に関する知識は不完全なものでしかありえない。将来にわたる通時的意思決定は、必然的に不確実な状況の下での意思決定であり、主観的なものでしかありえないが、将来予想をたて、それを手掛りにに決定を下す以外にやりようがない。新古典派においては、不確実性といっても事
    前に確率的に計算しつくすことができると考えられており、各経済主体は将来の状況に対して確立分布を付与し、それに基づいて合理的に行動するとされる。不確実性下での行動は、確率計算により確実な状況下での合理的行動へと変換できると仮定されている。それに対してポスト・ケインジアンは、客観的根拠あるいは主観的根拠によって将来状況に対して付与される確率(将来予想)に加えて、意思決定に介在する別の主観的要素が存在すると考える。
    • 主観的要素とは、将来予想が意思決定や行動の指針として利用されるさいの信頼性である。信頼にたる情報が欠けているため将来予想は不完全でしかありえず、その将来予想に対して各経済主体がどの程度の信頼・確信を抱いているか(信頼性・確信度)が、不確実性下での決定や行動に当た
      って決定的に重要である。こうした事態を、計算可能な合理的決定と同一視できない。
    • 将来予想に関する人々の確信といったものは、通常きわめてあやうく、移ろいやすい。そこで、各主体の確信をおびやかすような何らかの事態が生じれば、予想内容が急速かつ大幅に変更されがちである。こうして不確実な世界では、経済プロセスは経済主体の抱く将来見通し予想から大きな影響を受ける。各主体は変えることのできない過去の積み重ねに拘束されつつ、未知の将来に対して絶えず意思決定を強いられる。次に何が起きるかは、経済内部におけるこうした各主体の意思決定の相互作用の結果として決まってくる。将来は人間によって創り出されるものであり、単純に発見されるものではない。
  3. 経済分析を行うには、分析対象とする経済の歴史的な具体的局面を特定化する必要がある。ポスト・ケインジアンが分析しようとするのは現代資本主義経済である。そこでは利潤獲得を目的として生産手段が所有・利用されており、また利潤獲得活動は株式会社企業という形態をとって組織されている。しかも、企業はそれ自身が生命をもった独自の存在であり、新古典派が考えているような株主の単なる代理人ではない。企業は広い範囲内で自らの投資の量や内容を自由に決定したり、価格政策や配当の割合を決定できる。投資決定・価格決定の主体として企業は経済プロセスの進行にとって重要な決定を支配しており、現代資本主義の動態は、こうした企業行動に主導されて進展している。現代経済を牛耳っているのは企業だという意味で、企業主権と呼ぶことができる。これに対して新古典派においては、ロビンソン・クルーソーの孤島の経済や村の定期市で成り立つ原理が現代の複雑で高度に発展した経済においてもそのまま成立する、として理論が構成されている。現代資本主義経済においても、企業は消費者の利益を促進するための存在であり、経済のすべてのシステムは消費者の利益に叶うように運行する(消費者主権)と考えられている。

ポスト・ケインジアンにおいては貨幣経済的要因も重視される。経済は歴史的時間を通じて進行するプロセスであり、経済活動は異時点にわたって行われる。新古典派のようにすべての取引は瞬間的、同時的であると想定するのではなく、取引は通時的で異時点にわたるとモデル化する立場に立つなら、異時点にわたってある程度価値が安定し、広範な受領性をそなえた財が必要になってくる。通時的経済においては、貨幣は現在と将来とを結ぶ経済的リンクとして重要な役割を担うことになる。生産活動には時間がかかるし、貯蓄や投資は通時的活動である。

こうした経済活動は、貨幣を利用し貨幣表示での契約を取り結ぶことにより促進される。将来にわたる生産活動を安定的に編成するために、労働や原材料調達のための将来にわたる貨幣表示の契約が結ばれるし、投資資金の調達は将来の債務返済契約を伴っている。現代資本主義経済は、網の目のような重層的貨幣支払契約におおわれており、かかる異時点にわたる貨幣契約により時間を通じる経済の運行が可能となる。こうした貨幣経済において、契約支払時点での企業の支払能力(流動性)が企業の命運さらには経済の運行様式にも影響を及ぼすことになるし、逆に企業は将来の流動性とそのタイミングを充分考慮して意思決定を行い、契約を取り結ばざるをえない。流動性という概念は、かかる貨幣経済の文脈の中でこそ、その存在意義をうる。






2007-03-10 (土) 21:35:08 (4272d)