ミュンヘン一揆

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ミュンヘン一揆 †

1923年ナチスが政権奪取を狙ってミュンヘンで起こした反乱。即日鎮圧され、ヒトラーは逮捕・投獄された。

A.ヒトラーが1923年に試みて失敗した一揆。ビアホール・プッチともいう。20年3月のカップ一揆ののち,バイエルンでは王党派政権が成立し,全ドイツ反動派の根拠地となっていた。23年11月8日夜ヒトラーは600人の武装したSA(ナチス突撃隊)とともにミュンヘンのビアホールを襲い,そこで集会を開いていたバイエルンの州総監や州軍司令官をピストルで脅迫して,彼らをヒトラーの「国民革命」一揆に協力させた。しかし,バイエルン旧王家とカトリックの枢機卿以下は,ヒトラー一味にE.ルーデンドルフが加わっているために一揆に絶対反対を表明し,この一揆は結局失敗し,ヒトラーは5ヵ年の禁錮刑に処された。

ヒトラー一揆
(ひとらーいっき)
Hitler-Putsch ドイツ語
1923年11月8〜9日、バイエルン州の首府ミュンヘンでヒトラーら極右派が起こした一揆。ミュンヘン一揆ともいう。同年秋には、フランス軍のルール占領とドイツのインフレで全ドイツが崩壊の危機にたったが、バイエルンではG・V・カールの右翼政権が、ドイツ国防軍司令長官H・V・ゼークトと結んで、ドイツに独裁政権をたてようとして、ヒトラーらの極右派を陰謀実行の行動部隊として利用していた。最後の瞬間になって、カールらが実行計画を延期したので、ヒトラーらが11月8日の夜ミュンヘンで行動を起こし、カールらを監禁して協力を強要した。カールらは、いちおう協力を約束したが、バイエルンの軍部や官僚の首脳部が一揆に賛成しなかったので、約束を破って、ヒトラー討伐に向かった。ヒトラーらは、11月9日、市の中心部にあるオデオン広場に向けてデモを行い、2000〜3000人がこれに従ったが、同広場の入口で武装警察隊に銃撃されて、デモは壊滅した。ヒトラーは、この事件で5年の刑を宣告されたが、1年余りで釈放された。 <村瀬興雄>






2007-03-10 (土) 21:35:33 (4635d)