欧州単一通貨:ユーロ
欧州単一通貨。マーストリヒト条約で規定された経済通貨同盟(EMU)参加国に導入された単一通貨の名称。2002年1月1日より実際に流通が始まった。フランスやドイツなどヨーロッパの12カ国で「ユーロ」紙幣や硬貨の流通が実際に開始した。ドイツマルクやフランスフランなどユーロに参加する12カ国がそれぞれ使っている通貨は姿を消し、人口約3億人の巨大な単一通貨圏が登場した。人口はアメリカ、日本より多く、GDPではアメリカの70%、日本の2倍を超える第二の経済規模となる。
→通貨統合 …メリット・デメリットなど。
EUは降って湧いたものではなく、その後50年という長い時間をかけて経済通貨同盟(EMU)・共通外交安全保障政策(CFSP)・司法内務協力(CJHA)というEUの3本柱をその結果とする壮大なプロジェクトが展開されたのです。ここでは単一通貨ユーロの紹介にとどめます。EUはそれ以前はEC(欧州共同体)と呼ばれていました。EMUはドロールEC委員長の強いリーダーシップで推進され、1989年「欧州共同体のEMUに関する報告書」を提案、この報告書は三段階でのEMU達成のスケジュールを示しています。
1990年7月からの第一段階で域内での資本移動の完全自由化の実現、第二段階はローマ条約を改正して欧州中央銀行を設立し、各加盟国からECBへ次第に通貨政策の権限を移す(この改正がマーストリヒト条約の事で1994年1月からスタート)、第三段階が各国通貨間の為替レートを完全に固定化するとともに統一通貨を導入するという内容です。ユーロは1998年EUの首都と呼ばれるベルギーのブリュッセルで正式に決定し、1999年1月に実現しました。マースリヒト条約はEMUの手順のほか、ユーロ導入の判定基準やECBの機構について詳細に定めており、ユーロの生みの親と言えます。
欧州委員会の試算ではEU各国の域内に占める貿易比率は約6割強、単一通貨による貿易コストダウンの規模は、決済コストの規模だけで131億〜192億ユーロにのぼる。域内通貨の乱高下がなくなることで経済のかく乱要因が減少し企業投資環境は確実に好転する。EU15カ国の経済規模は名目GDP、人口とも米国と同等、いずれ英国などユーロ不採用国も採用すれば米国より一回り大きな規模の経済圏になる。
ドルからユーロへの資金移動を試算したある推計によると、世界の民間ポートフォリオの構成比は2000年当時50%がドル建て資産で、ユーロ(欧州通貨)建ては10%、これがユーロ建て20%、ドル建て40%になるとドルからユーロへの資金移動は約3,500億ドル、ユーロ建て30%、ドル建て40%なら約7,000億ドルのシフトがあるとの見方がある。石油を筆頭にユーロ決済の貿易の比率が高まるのも確実で今後EUの拡大とともに(その成功が重要ですが)更なる高い地位を築いていくことだろう。
ユーロ導入には、各国には高いハードルがあった。財政赤字の削減を導入の条件の一つとなっており、中央・地方政府と社会保障会計を合わせた財政赤字をGNPの3%以下に抑えることを義務づけたからだ。ある国が財政赤字を増加させると、ユーロの金利が上昇してしまい、通貨統合のメリットがなくなってしまう。つまり、ユーロを強い通貨にするためである。
しかし、EU諸国の財政はもはやぎりぎりのところまで悪化しており、各国ともその目標を達成することは大変厳しい状況だった。1992年の時点で条件を満たしていたのは現在のユーロ圏12カ国のうち四カ国にしかすぎなかった。財政赤字比率が12.3%のギリシャ、9.5%だったイタリアなどはユーロ導入は不可能だと思われていた。しかし、97年にはイタリアを含む11カ国、99年にはギリシャもこの条件を達成した。EUの経済上のお荷物も、通貨統合のための財政再建の大合唱の例に漏れず、徹底的な改革に邁進している。しかし、その財政を立て直すには各国とも硬直化した既得権益が障害となる。そこでEUは経済通貨同盟による経済の効率化・活性化という餅を絵に描いて、それを錦の御旗として、徹底的な財政再建に乗り出したのである。
財政赤字の大幅削減を達成できた主因は財政や社会保障制度の構造改革を一気に押し進めたことだ。各国とも厳しい反対を、「ユーロ」という錦の御旗のもとに押し切り、緊縮財政・公務員削減・社会保障の削減等を押し進めていった。こういったプロセスにおける各国の財政再建もユーロ導入の重要なねらいの一つであった。
ユーロ導入時、理論的支柱としたのは「最適通貨圏の理論」だった。経済が開放的で貿易依存度が高く、資本や労働力の流動性も高い国々は、それぞれ独自の通貨を持つよりも単一通貨を導入する方が合理的だというのが主な内容だ。労働力の流動性が高ければ、不況で失業者が増えても好況の国に移住してもらえばよい。
だが、ユーロ圏は単一通貨を導入するには最適環境でなかったと指摘する専門家が多い。それは、たしかに国家間のヒトの移動は制度的には自由だが、実際には言語の違いなどが障壁となり、労働力の流動性が高いとは言えなかったから。
それでも欧州各国がユーロ導入に踏み切り、厳しい構造改革を推し進めたのは、次のような経済的利益が不利益を大きく上回ると判断したため。
国家は通貨主権を放棄し、金融政策は欧州中央銀行の専権事項となった。通貨統合参加国の金融政策は欧州中央銀行の政策委員会で決められることになる。政策委員会はEMU参加国の各国中央銀行総裁と欧州中央銀行の理事から構成される。政策委員会は、1人1票の単純多数決で議事決定を行う。総裁は議事が膠着した時の決定投票権を持つ。ただし、利益処分の決定には各国中央銀行の総裁のみ参加でき、三分の二の賛成が議事決定に必要である。各国中央銀行はそれぞれの国の人口、GDPの参加国全体に占める割合に応じて、欧州中央銀行に資本金を拠出し、この割合にしたがって利益を受けることになっている。ここで重要なのは、欧州委員会の委員、閣僚理事会の閣僚は政策委員会に出席や提案は出来るが、採決に参加することは出来ないという点である。つまり、機構上はEU各国は、ヨーロッパの金融政策に自国の意向を直接反映させることは出来ないのである。通貨を統一すれば、各国は独自の金融政策が不可能になる。ユーロ圏の政策金利は、圏内各国の平均的な経済状況に合わせて決めるため、景気がよい国には低すぎ、景気が悪い国には高すぎるという状況もあり得る。
単一通貨を使っているわけだから、当然、国家間の景気格差を為替相場で調整することもできなくなる。導入する前なら為替相場メカニズムの変動幅の範囲で相場が動き、変動幅自体を見直すことも可能だった。
また各国は景気が悪くなったからといって、簡単に財政政策が実行できる状況ではなくなった。それはEUの安定成長協定が、財政収支の中期的な均衡化または黒字化を義務づけているからで、ユーロ参加国は導入後も財政赤字の削減を義務づけているからだ。各国は毎年、中期財政計画を作成して欧州委員会に提出して、EU財務相理事会の承認を受ける必要がある。かりに財政赤字が名目GDPの3%を超えた場合、原則としてEUに罰金を払わなければならない。
このような環境下で、ユーロ圏内は高い財政規律を維持してきた。経済開発機構の推計によると、圏内12カ国を合わせた財政赤字の名目GNP比率は96年に日本を下回った。
一方、こうした厳しい財政の枠組みは、不況期に経済活性化を狙った財政出動を妨げる場合がある。景気が減速すれば税収減で財政収支が悪化するが、財政赤字は3%に抑える必要がある。好景気でも財政赤字が発生する構造的な赤字国は景気が悪くなるとすぐ「3%の壁」が近づくこととなり、景気対策で財政支出を増やせば赤字が増えてしまう。
不況に陥った時に一国ができる景気対策は、金融政策はできないし、財政政策も制約がある。手詰まりになってしまう。
税制統合も重要な課題である。市場統合の過程で付加価値税については15%を最低とするという合意ができたが、直接税についてはEUの干渉を拒否する国が多く、欧州委員会が1987年におこなった非通利子源泉課税制度提案も日を見ることはなかった。しかし、ユーロによって為替リスクが無くなっても、税制はほとんど旧来のままである。そのために懸念される問題ができた。
グローバリゼーションの時代にあって、どの国でも直面する問題だが、ユーロによってEUでは問題が顕著に現れることが予想される。
また、EUは通貨統合を進めない限り労働市場の改革を行えない、労働市場の改革を伴わないと通貨統合はデメリットが大きくなって、場合によっては維持できなくなってしまうというように、同語反復の状態になっている。うまく行けば、通貨統合が労働市場改革を促進し、逆に労働市場改革によって通貨統合は維持可能になるという良い循環が起こるであろう。しかし、逆の場合は、労働市場改革が進まないと、通貨統合が維持できなくなり、そうなると各国ごとの通貨切り下げや財政支出によって失業解消を狙い、さらにそれが労働市場改革を進まなくさせるという悪循環に陥ってしまう。ともかく1999年はじめに通貨統合が行われ、それがずっと維持されるならば、労働市場が柔軟にならない間、国、地域によっては、労働需給のアンバランスから今後更に失業率が上昇する恐れが出てくるのである。通貨統合にとって労働市場改革が緊急の課題であることは疑いない。
ユーロという通貨が導入され、現金も流通し始めたということで、何となくこれで経済的統合のゴールに到達したような感覚を持ってしまうが、実はこれはゴールではなく、まさに出発点であり単一通貨としてようやく始まったのだろう。