参照:毎日新聞 2008年2月24日 東京朝刊
〔ジャーナリズム〕
1984(昭和59)年1月から『週刊文春』が長期連載した「疑惑の銃弾」で始まった三浦和義元貿易会社社長に対する人権侵害報道。三浦氏は81年11月18日、ロサンゼルスで妻Kさんの写真を撮っていたとき3人組の強盗に襲われた。Kさんが頭部を撃たれ、三浦氏も脚を撃たれた。Kさんは日本の病院で1年後に死亡。『週刊文春』は、三浦氏に対し、保険金を目当てに、友人O氏に銃撃させたと糾問。警視庁も動き、85年9月、ロスのホテルで81年8月、元女優にKさんの頭をハンマーで殴らせたとする殴打事件で三浦氏と元女優を逮捕。88年10月にはロス銃撃事件で三浦氏と、実行犯としてO氏を逮捕した。
銃撃事件で東京地裁(松本昭徳裁判長)は94(平成6)年3月31日、三浦氏に無期懲役を言い渡した。O氏を無罪とし、「氏名不詳者による銃撃」という論理で三浦氏を有罪にした。98年7月1日、東京高裁(秋山規雄裁判長)は逆転無罪判決を出し、三浦氏は釈放された。検察は最高裁に上告した。O氏については上告せず、無罪が確定した。
三浦氏による487件にのぼる対メディア民事訴訟で、時効分を除いて約80%勝訴している。