安保闘争

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安保闘争 †

60年安保

日ソ国交回復を花道に鳩山首相が退陣した後任を選ぶ自民党総裁選挙では,第1回投票で1位だった幹事長岸信介を,決選投票で「2位,3位連合」により通産相石橋湛山が7票差でかわし,1956年12月に石橋内閣が成立。しかし日中国交問題を課題にしようとしていた石橋首相が翌1957年1月に病気で倒れて副総理・外相の岸が首相臨時代理となり,2月に岸内閣が発足。

日ソ国交回復を進めた鳩山内閣に対するアメリカの評価が悪かったこともあり,岸は対米協調外交を唱え,日米安保条約の不平等性改定に乗り出した。日米間交渉は順調に進み,条約の骨格は1958年中に固まった。しかし安保改定を前に警察の治安維持機能を強化しようと国会に提出した警察官職務執行法改正案に対し,社会党・総評などは同会内外で反対運動を繰り広げ,東条内閣閣僚としてA級戦犯容疑者となった岸の「反動」イメージを宣伝。一方,警職法を重視していなかった岸首相は根回しを怠り,自民党内の反岸勢力を活発化させた。岸首相は自民党内の調整に手間取り,安保条約調印は1960(昭利35)牛1月まで延期された。新安保条約を審議する国会では,衆議院本会議場に警官隊を導入し,自民党だけで強行採決した。これが大衆運動に火を付け,条約が自然承認されると,岸首相は条約批准後の辞任を発表した。






2007-03-10 (土) 21:36:51 (3634d)