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「外交」についてのメモ。外交とは…
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  • 二重の基準(東亜日報,オピニオン)

     「米国の外交は二重の基準(double standards)に満ちている」。最近ロシア首脳部は米国に対してこのような不満を吐露する。同様の国際懸案に対して米国の外交原則が相手や状況によって大いに異なるというのだ。特に国益と直接関連のある懸案を取り上げるときはこのような姿が目立つ。セルゲイ・ラブロフロシア外相は先月ロシア南部の北オセッティヤ学校で人質事件が発生したとき、米国の二重の基準を激しく非難した。

     9・11同時多発テロ以降、米国は「脅威を前もって予防しなければならない」という先制攻撃論を前面に出して、アプガニスタンとイラクを侵攻した。イランなど米国の安保に脅威となり得ると思われる国々はいつ米軍の攻撃を受けるのかと戦々恐々としている状況だ。同盟国を引き入れて全世界で対テロ戦争を行う。しかし「予防戦争」を始める権利は米国にだけある。チェチェン反乱軍のテロで数多くの民間人被害者を出したロシアがチェチェンで行う軍事作戦には「予防戦争」の代わりに「人権」という米国のまた違う基準が適用される。

     タリバンやアルカイダのようなテロ勢力とは絶対に妥協しないという米国がチェチェン反乱軍リーダーたちの入国は認めた。大量破壊兵器に対する対処でも二重の基準が見られる。米国が決めた同じ「不良国家」である北朝鮮、イラン、イラクなどに対する米国の態度も差別的で便宜的だ。北朝鮮の核問題が国際社会の関心を集めたとき、米国は北朝鮮をすべての悪の根源のように責め立てた。だが、米国がイラクを侵攻するや、ロシアでは「そんなに危険だという北朝鮮はほったらかしてイラクを先に侵攻した基準は何か」という皮肉もあった。

     国際政治だけではなく、国内政治でも「私がすればロマンスで、他の人がすれば不倫」という式の二重の基準があり得る。自分には寛容を、相手には厳しい物差しを突き付けることはよく見られる。「味方」が過ちをすれば「仕方ない」という状況論で静かに済ませるが、相手の間違いは決して許すことができない懲らしめの対象になる。日常生活で思わず下す多くの判断の中にはこのような二重の基準はないか振り返ってみる必要がある。






2007-03-10 (土) 21:37:44 (3758d)