曲がり角にきた福祉国家

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Christopher Pierson

曲がり角にきた福祉国家 †

  • クリストファー ピアソン『曲がり角にきた福祉国家―福祉の新政治経済学』田中浩/神谷直樹 (訳)

冷戦後の資本主義、社会民主主義、社会主義の諸国家における社会福祉の問題について、ニュー・ライトからネオ・マルクス主義までの論議を総括し、新しい福祉国家の課題を提示する。

  • 福祉国家は再編課程の途上にあるという主張の命題
  • 命題1
    • 福祉国家は、長期的には、健全な市場経済とは両立しえない。ただ、戦後期における経済成長を可能にした例外的に良好な環境のみが、経済成長と福祉国家の拡大とを同時に許容したにすぎない。国際経済の諸条件が変化した現在、政治的右派がこの[命題1の]ように主張するときには、経済成長は、経済の活力をそぐ福祉国家の浪費をきびしく削減することをつうじてしか回復されないという意味がこめられている。他方、左派がこのように主張するときには、福祉国家の理念のなかにふくまれる福祉目標は、社会主義にむけての社会変革によってしかかなえることができないという意味がこめられているのである。
  • 命題2
    • 福祉国家の発展は、近代資本主義社会の進化の過程で必要不可欠の部分であった。しかしながら、その驚異的な成長の時期は、歴史的にはいちどかぎりのものでもあった。いまや、福祉国家は、「その限界まで成長した」。福祉国家の全面的な解体はありそうにないし、また、望ましくもないが、いま以上に(高負担を課して)福祉を拡大することは、それがいかなるものであれ、福祉にたいする大衆の支持という基盤をくずしはじめるであろう。
  • 命題3
    • 国際政治経済が変化したことにより、国民単位の福祉国家を増進させてきた環境は、ますますそこなわれることになった。国民単位の政府の権力、国民単位の労働運動、国民を基盤とする資本―−これら三者のあいだで、国民福祉国家についての合意が形成されるのが典型的であった−は、現代の世界経済においてますます進展する国際化と規制緩和によってその力を失いつつある。ケインズ主義的福祉国家は、この新しい国際政治経済と両立しえない。
  • 命題4
    • 戦後の福祉国家は、資本の諸力および利益と、組織された労働の諸力および利益とのあいだの「歴史的妥協」を意味した。かつて、福祉国家の諸政策は、どちらの利益にもかなったが、いまやそれは、どちらにとってもますます魅力のないものとなっており、やがて双方の陣営内で、福祉国家政策への支持が減少していく可能性かおる。こうした耶境のもとで、現代の社会民主主義運動にとって唯一の適切な戦略は、かつてケインズ主義的福祉国家にかんする(暫定的な)妥協のさいに「保留した」、投資機能の社会化*1というみずからの伝統的公約を復活させることである。
  • 命題5
    • 福祉国家による福祉供給(とくに公衆衛生と公教育)が拡充されると、そのこと自体が社会的変化をひきおこし、国家が継続的に福祉供給をおこなう必要性を低下させ、また、公的福祉供給にたいする継続的な支持の基盤を弱める結果をまねいた。とりわけ、福祉国家化かすすむと、先進資本正義の階級構造は変容し、福祉国家の継続を必要としていた階級的基盤は弱められた。もっとも重要なのは、こうした変化が、福祉国家を建設する基礎となった中産階級と労働者階級とのあいだのかつての提携関係をくずしてしまい、そのことが、人口構成のなかでたえず贈大している部分[すなわら中産階旅が公的な福祉供給(による援助)を見放す(defect)動機となっている。
  • 命題6
    • 福祉国家が意味するところは、現在達成されている社会的・経済的な水準にみあった、じゅうぶんな福祉サービスを供給する適切な制度的措置を講じることである。持続的経済成長によって、これら福祉供給のありかたは、ますます不適切なものになった。もっとも注目すべきは、西欧の先進工業経済地域において、消費者の選択のはばがひろがり、豊かになったことにより、消費者は国家行政をつうじた福祉にたいする不満をますますつのらせ、市場をつうじて供給される福祉サービスをますますのぞむようになっている。
  • 命題7
    • 福祉国家の政治的プロジェクトは、歴史的には進歩として理解されるべきであるが、今後の進歩は、在来型の福祉国家政策をひきつづき促進していくことによってはもたらされない。なぜなら、福祉国家は生産性至上主義および経済成長戦略と結びついており、それは(もはや)人間ほんらいのニーズの総体とは調和しないし、真の社会福祉を保障することとも調和しないからである。

 本書が主として検討するのは、以上のように、「福祉国家の限界を乗り越える」発展の必要を説く人びとの主張である。しかし、本書は、未来学的な研究を意図するものではない。なぜなら、福祉国家群の将来と「ゆくえ」は、それら福祉両家群のこれまでの歴史的な進展過程と、それらの福祉国家群か、現在のところ具体的に有している権能および構造に依存するにちがいないからである。このことは、本書の構成にもあらわれている。最初の三つの章では、福祉国家にたいするいくつかの主要な理論的アプローチと、それらから導きだされる福祉国家の将来の発展にかんする予測をあつかう。より厳密にいえば、それら三章は、福祉国家、社会席王主義、先進資本主義の構造という三者の関係をあつかう。このような、相互に競合する説明が縦横に入りくんでいる迷路を、読者が迷わずに通過するのを肋けるために、各節の終わりには、本文で概説された主張を要約する短いテーゼをかかげておく。第4章では、一九七〇年代初頭までの福祉国家郡の発展過程における主要な動向を、国際比較的な観点からふり返る。
 


*1 ここでいう「投資機能の社会化」とは、具体的には基幹産業の公有化、労働組合の経営参加、消費生活協同組合の活動、私企業にたいする政府の統制などの手段をつうじて、投資機能を公共的な目的に従属させていくことを意味する。そのばあいの目的について、トーニーは、「生産的な仕事をしている人びとを、金銭的利得[不労所得]のことしか考えていない人びとの統制から解放することである。それはまた、かれらが、自由にそのエネルギーを産業の真の目的に充用しうるためであり、産業の目的とは諸サービスの提供であって配当金の供給ではない」と述べている。cf. R.H.Tawney,The Acquisitive Society,pp 97-98





2007-03-10 (土) 21:38:46 (4148d)