近現代思想

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日本の近現代思想 †

近代以前の日本の思想は,儒教・仏教を主流として発展してきたが,明治維新直後は急速な西洋思想の影響をうけ,イギリス流の啓蒙思想・フランス流の民権思想が流行した。資本主義が高度に発達する日清・日露戦争前後からは,キリスト教や社会主義のような実践的な思想が展開しはじめ,さまざまな社会改革運動と結びついた。また,これらの輸入学問に対抗しつつ国粋・国家主義思想や日本独自の学問も形成される。

啓蒙思想と民権思想 †

  • 文明開化期に,イギリスやフランスの市民社会論が紹介された。
  • イギリスからは功利主義や社会進化論(明六社・官民調和論)
  • フランスからはルソーをはじめとする人民主権論(自由民権運動)
  • 啓蒙思想
    • 明治初期の思想家は,西洋市民社会を生み出したイギリス啓蒙思想に支えられ,日本の伝統的権威や封建的慣習に対する批判を試みたが,ラディカルさに欠け最終的には上からの近代化を容認する官民調和論を唱えるようになる。
    1. 明六社
      • 後に初代文部大臣に就任する森有礼によって設立された日本初の学術団体で,西洋の啓蒙思想の紹介・定着を試みた。機関誌『明六雑誌』を刊行した。福沢諭吉・中村正直・西周・津田真道・加藤弘之らが活躍。
    2. 福沢諭吉(1834年〜1901年)
      • イギリス自由主義・功利主義の思想にもとづいて,日本の西洋化と封建思想の打破をめざした(脱亜入欧)。人権思想にいちはやく注目し,「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり」と述べ,天賦人権論を唱えた思想家としても知られている。市民的な自主独立の精神(独立自尊)を尊び,個人の独立と近代国家の形成とが不可分の関係にあることを主張した(「一身独立して一国独立す」)。学問の領域でも生活に役に立つ功利主義的な実学を重視し,慶應義塾を設立。
  • 自由民権思想とその系譜
    • 明六社のイギリス流啓蒙思想家が,最終的には官民調和論を唱えたのに対して,西南戦争以後,藩閥政府に言論をもって対抗した民権思想家は,よりラディカルなフランスの人権思想を吸収し,国民の抵抗権・革命権を擁護した。中江兆民植木枝盛が有名。また自由民権運動の沈滞後も,民権思想の系譜は大正デモクラシーや女性解放運動へと受け継がれ,吉野作造平塚らいてうらが活躍した。
    1. 中江兆民(1847年〜1901年)
      • 『社会契約論』の翻訳『民約訳解』を出版するなど,フランス啓蒙主義とくにルソーの影響を受け,東洋のルソーとよばれた。回復的民権の確立に努めた。回復的民権とは,天賦人権を回復する革命運動のなかで手にすることができた人権で,西洋の人権概念にあたる。それに対して為政者より与えられた日本的な人権は恩賜的民権とよばれる。中江は,日本の実状に即して日本的恩賜的民権を発展させ,西洋流の回復的民権にまで高めていかねばならないとした。
    2. 吉野作造
      • 第一次世界大戦後の平和的ムードのなかで,日本では大正デモクラシー運動が展開した。吉野作造は日本の立憲主義に即した形で西洋民主主義の理念を導入し,それを民本主義と名づけた。
    3. 平塚らいてう
      • 大正デモクラシー運動は,直接的には憲政擁護・閥族打破をスローガンとして展開されるが,その影響で婦人解放運動・労働運動・農民運動・部落解放運動が活発化した。日本の先駆的なフェミニズム運動家であった平塚らいてうは,青鞜社という文学団体を設立し,機関誌『青踏』を拠点に女性解放の論陣をはった。
    4. 美濃部達吉
    • 国家の統治権(主権)は法人としての国家にあり,天皇は憲法に定めるところに従い,その執行機関として統治権を行使するとする憲法学説(天皇機関説)を展開し,国家主義的な天皇主権説と対決した。軍部・ファシズムの台頭にともなって,天皇機関説は否定された(国体明徴声明)。

*キリスト教と社会主義思想 †

  • 日本の近代化が生み出した社会矛盾に取り組んだのは,キリスト教思想家と社会主義思想家であった。
  • 日清・日露戦争以降,資本主義的矛盾が激化するなれ キリスト教に立脚した社会改良運動や社会主義的な変革運動が活発化した。また,日本の社会主義思想家の多くが,キリスト教的ヒューマニズムを経由していたという点で,両者の間には深い結びつきがある。
  • キリスト教的ヒューマニズム
    • 江戸時代に禁止されていたキリスト教は,明治以降多くの知識人に影響を与えた。「少年よ大志を抱け」と演説した札幌農学校(現・北海道大学)クラーク博士のもと,内村鑑三・新渡戸稲造が入信した。また同志社を設立した新島襄や日本の神学の基礎を築いた植村正久らの活躍も有名である。彼らは教育者として,現実の社会問題を,理想主義的な人格教育の力によって解決しようとした。
  1. 内村鑑三
    • 伝統的な武士道とキリスト教の精神を融合しようとし,二つのJの思想を展開した。二つのJとは日本(Japan)とイエス(Jesus)をさし,二つのJに仕えることを自らの使命とした。また無教会主義を主張し,教会からの影響を排除した自主独立の信仰をまっとうした。教育勅語に対する敬礼を拒否する不敬事件をおこしただけでなく,日露戦争期には平和主義の立場から非戦論を唱えた。また田中正造と共に日本の公害第一号といわれた足尾銅山鉱毒事件にも携わった。
  2. 新渡戸稲造
    • プロテスタンティズムの一つであるクエーカー教徒となり,日本  文化とキリスト教の融合をはかろうとした。日本文化の海外紹介にあたり,国際連盟事務総長にも就任する。
  3. 新島襄(1843年〜90年)
    • アメリカで神学を学び,帰国後キリスト教人格教育に従事した。京都に同志社を設立する。

社会主義思想 †

  • 日清・日露戦争の頃,日本は産業革命を経て資本主義化に成功したが,それと時期を同じくして,資本主義批判の思想である社会主義思想が広がりはじめた。しかし1900年に制定された治安警察法によって政府の厳しい弾圧をうけた。1910年の大逆事件を最後に,日本の社会主義運動はロシア革命のころ一時期復活するが,間もなく軍部・ファシズムによって再度沈黙が強いられた。
  1. キリスト教的社会主義
    • 片山潜・安部磯雄・木下尚江のように,日本の多くの社会主義者は,キリスト教的ヒューマニズムに基づく社会改良運動から社会主義運動に加わった。
  2. 幸徳秋水
    • 中江兆民の弟子で,社会主義思想を日本に積極的に紹介した。平民社を設立し,機関誌『平民新聞』上で,堺利彦とともに日露反戦論と帝国主義批判を展開したが,大逆事件で処刑された。

純粋日本思想の展開 †

  • 明治の文明開化以降,英仏の啓蒙思想・キリスト教・社会主義思想など,さまざまな思潮が独自の発展をとげたが,それらはすべて外来思想であった。それに対して,鹿鳴館時代をきっかけに,明治中期以降になると日本の伝統的特殊性を重視する国家主義の諸思想が国民の支持を集めた。また明治末期から大正時代には,日本独自の学問・思想も姿をみせはじめた。
  • 国家主義の系譜
    • 極端な欧化主義・西洋崇拝に対する反動として,日本の政治文化・民族的伝統を重んじる思潮が生まれてきた。これらの思想はやがて,帝国主義的侵略や軍部・ファシズム支配を正統化するイデオロギーとしての側面をもち始める(超国家主義)。
  1. 徳富蘇峰
    • 鹿鳴館時代に代表される政府の極端な欧化政策(井上馨外務卿・外務大臣)に反発し,大衆の視点に立った下からの近代化を推し進めるべきだとする平民主義を唱えた。しかし日清戦争後から日露戦争に到る帝国主義的な社会風潮のなかで,国家主義へと転向した。
  2. 国粋主義
    • 極端な欧化政策(鹿鳴館)に対して,日本独自の政治文化や民族的伝統を重んじる思想を国粋主義とよぶ。三宅雪嶺や陸羯南らが有名。
  3. 国家神道の成立
    • 明治維新後,政府は神道を特別な宗教とせず,国家神道として積極的に優遇・保護した。天皇の神聖不可侵性と結びつけ,国家支配の道具とした。宗教として認定される民間の神道を教派神道とよび,国家神道と明確に区別。国家神道の形成と教育勅語の発布は,国家によるイデオロギー支配の典型例とみることができる。
  4. 国家主義の完成と北一輝
    • 国家としての主権を回復しようとした明治期の国家主義は,日清・日露を経て帝国主義的な植民地政策という形をとった。しかし軍国主義・対外膨張の動きは,国家そのものの枠組みを乗り越えようとする超園家主義へと発展していった。北一輝は超国家主義に基づいて,財閥・元老・政党を排除することによって天皇と民衆を直結させる政府を樹立することを主張した。二・二六事件(1936年)は彼の『日本改造法案大綱』(1919年)を理論的根拠としていた。

民俗学の誕生 †

  • 民俗学とは,民間伝承や民間信仰の収集を通して失われた伝統文化を発揮しようとする学問で,柳田国男によって確立された。柳田は政治的指導者や知識人ではない一般庶民を常民とよび,彼らによって口承されてきた民話の収集をおこなった。柳田の他にも,南方熊楠・柳宗悦・折口信夫らが日本の文芸・芸能の発掘をおこなった。

 哲学・倫理学 †

  • 戦前の日本ではドイツ哲学の活発な紹介・研究がおこなわれたが,明治末期から大正時代にはいると,西田幾多郎・和辻哲郎・田辺元のように西洋思想に学びつつも,禅仏教などの東洋思想との融合をはかろうとする試みがおこなわれるようになった。またマルクス主義の系譜からは,河上肇や三木清らが出た。
  1. 西田幾多郎
    • 禅体験と西洋思想との融合によって独自の思想を確立した。その思想体系は西田哲学とよばれている。主観・客観の分裂を前提とする西洋哲学に対して,人間の根源的な体験は(禅体験のように)主客未分であるとし,主著『善の研究』(1911年)で純粋経験の概念を確立した。またあらゆる存在を生み出すものは無であると考え,存在の根本原理としての絶対無に到達した。
  2. 和辻哲郎
    • 人間とは相互に孤立した存在ではなく,人と人との間柄に成立する間柄的存在であるという倫理学(人間の学)を打ち立て,行き過ぎた西洋の利己主義的な個人主義を批判した(『人間の学としての倫理学』(1934年))。個人的でもあり,同時に社会的でもある人間は,個人としての自覚と社会の成員であるという自覚を同時にもたねばならない。また自然環境とそこに生活する人々の生活様式の関係を考察した『風土』(1935年)も有名。





2007-03-10 (土) 21:38:48 (3853d)