けいえんじだい
日露戦争後の財政難で,桂と陸相・寺内正毅は陸軍軍拡に消極的だった。陸軍内部でも,上原勇作ら非主流派の薩派や長州出身の田中義一が桂,寺内に不満を持った。
桂は,陸海軍の軍拡延期、軍部大臣現役武官制廃止を準備し,新党を組織して事態を乗り切ろうとした。しかし新党「立憲同志会」へは国民党の反犬養毅派などが参加したものの,政友会は切り崩せず,群衆に囲まれた議会で桂は総辞職。
桂がガンで没したため,同志会は第3次桂内閣の外相で三菱財閥の女婿である加藤高明を総裁として結党式を挙げたが,西園寺と共に第二世代の元老となった桂を党首に配下の官界・財界人を集め,旧民党の一翼をも吸収した点で,伊藤の政友会に似た面を持ち,後の憲政会→民政党の核となった。
大正政変で成立した海軍・政友会・薩派を与党とする第1次山本権兵衛内閣は安定した政権とみられ,軍部大臣現役武官制も廃止された。しかし軍艦の海外発注をめぐるシーメンス事件が発覚し,第一次憲政擁護運動で攻撃された側が山本内閣を攻撃。予算案を貴族院が否決し,山本内閣は退陣。後任には,大隈重信が第3次桂内閣とほぼ同じ勢力を与党に2度目の内閣を組織した。