桂園時代

「桂園時代」についてのメモ。桂園時代とは…
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けいえんじだい

桂園時代 †

桂園時代 †

  • 政局の安定
  • ポーツマス講和条約の反対運動後の政局は,山県閥を代表する陸軍大将桂太郎と,政友会総裁・西園寺公望が交互に政権に就く比較的安定した「桂園時代」を迎えた。

日露戦争後の財政難で,桂と陸相・寺内正毅は陸軍軍拡に消極的だった。陸軍内部でも,上原勇作ら非主流派の薩派や長州出身の田中義一が桂,寺内に不満を持った。

  • 大正政変
    • 第2次・西園寺内閣陸相に起用された上原は,辛亥革命とシベリア鉄道複線化に備えることを理由に朝鮮への2個師団増設を要求。これを拒否した内閣と陸軍の間で妥協が成立せず,上原陸相は単独辞職。軍部大臣現役武官制により,陸軍が後任の陸相を出さなかったため,西園寺内閣は総辞職。後任首相には,内大臣兼侍従長として宮中に入ったばかりの桂が政界復帰して就任。
      この間,元老会議が後継首班を選んでいる最中に「憲政擁護会」が結成されて運動を開始し,桂出馬で活発化した。

桂は,陸海軍の軍拡延期、軍部大臣現役武官制廃止を準備し,新党を組織して事態を乗り切ろうとした。しかし新党「立憲同志会」へは国民党の反犬養毅派などが参加したものの,政友会は切り崩せず,群衆に囲まれた議会で桂は総辞職。

桂がガンで没したため,同志会は第3次桂内閣の外相で三菱財閥の女婿である加藤高明を総裁として結党式を挙げたが,西園寺と共に第二世代の元老となった桂を党首に配下の官界・財界人を集め,旧民党の一翼をも吸収した点で,伊藤の政友会に似た面を持ち,後の憲政会→民政党の核となった。

大正政変で成立した海軍・政友会・薩派を与党とする第1次山本権兵衛内閣は安定した政権とみられ,軍部大臣現役武官制も廃止された。しかし軍艦の海外発注をめぐるシーメンス事件が発覚し,第一次憲政擁護運動で攻撃された側が山本内閣を攻撃。予算案を貴族院が否決し,山本内閣は退陣。後任には,大隈重信が第3次桂内閣とほぼ同じ勢力を与党に2度目の内閣を組織した。






2007-03-10 (土) 21:39:07 (3757d)