経済制裁

「経済制裁」についてのメモ。経済制裁とは…
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economic sanction

経済制裁 †

  • 経済的手段によって国際法規または国際組織の決定の適用・実施をはかること。
  • 狭義では、国際連盟規約一六条、国際連合憲章四一条に規定する経済的措置の適用をさす。国際義務を履行しない国や国際法違反国に対して、財政・金融措置、対象とされる国家の資産凍結、通商貿易上の措置を講じることによって、違反をやめ義務を履行させる。
  • 1936年の国際連盟による対イタリア経済制裁、国連による対南アフリカ、南ローデシア制裁の例があるが、制裁参加国も経済的損失を覚悟しなければならず、自給自足度の高い国に対しては効果がないこともあって成功例はほとんどない。
  • 1990年イラクのクウェート侵略にも適用されたが実効に乏しく、結局、軍事制裁に切り替えられた。

噴水台】制裁

経済制裁(sanction)は米国外交政策の一つの軸だ。 交渉が機能せず、軍事力の使用が負担になる場合に採ってきた手段だ。 1960年10月。 アイゼンハワー大統領はキューバへの輸出を中止する。 キューバ産サトウキビの輸入も禁止した。 キューバのカストロ首相(現国家評議会議長)が自国内の米国資産を国有化したことに対する対抗措置だった。 サトウキビはキューバ経済を支えていた。 全体輸出額の80%にのぼった。

62年2月。 ケネディ大統領は制裁の程度を強める。 全面的な輸入禁止を発表した。 制裁には中南米国家と北大西洋条約機構(NATO)が加わる。 キューバとの軍需物資取引を断った。 経済の対米依存度(輸出60%、輸入70%)が絶対的だったキューバの打撃は大きい。

しかし米国の制裁は失敗する。 カストロ政権を転覆できない。 東側陣営はカストロの脱出口だった。 ソ連と中国はサトウキビを買い、ポーランドはキューバと通商協定を結んだ。 単独制裁の効果に疑問符が押された事例だ。 半面、イランのイスラム革命の渦中にあった米大使館人質事態(79年11月−81年1月)の解決には、米国の貿易・金融両面封鎖が決定的な役割を果たした。 イラクと戦争まで繰り広げたイランは、米国の制裁に耐えられなかった。

米国は制裁を最も愛用した国だ。 第2次世界大戦以降の100件を超える制裁のうち、3分の2を米国が行っている。しかし成功率は3分の1(米国際経済研究所)。 金を稼ぐ機会を逃した米財界は黙っていなかった。 制裁立法を乱発するタカ派議員らには寄付しないと言った。

米国が対北朝鮮金融制裁に満足しているという。 マネーロンダリング(資金洗浄)容疑を受け入れたマカオの北朝鮮主取引銀行に対し、自国銀行との取引を中止させて以来、各国が続々とこれに合流している。 ニューヨークタイムズ紙は、北朝鮮指導部がワシントンに不満を爆発させるほど平壌(ピョンヤン)の神経に触れた、と伝えた。

これは「制裁の法則」に照らしてみると驚くことではない。 貿易制裁は住民を苦境に陥れ、金融制裁は支配層の財布を空にするという。 しかしこの法則にはブーメラン効果が後続する。 国内の抵抗勢力が弱ければ現体制を団結させる。 現在、北朝鮮軍の第1スローガンは「革命の首脳部を命をかけて死守しよう」だ。

「大きなムチを持って穏やかに話せ(Speak softly and carry a big stick)」。米共和党が信奉するセオドア・ルーズベルト大統領の教えはいつまで続くだろうか。






2007-03-10 (土) 21:39:15 (3878d)