五・四運動 五四運動
岩見隆夫
サンデー時評:歴史教育は「いま」から「過去」に遡れ
◇中国の愛国教育は過剰
◇日本の歴史教育は希薄
なぜ一時的でないかと言えば、今回もデモの若者たちがしきりにアピールした〈五・四運動〉は、起きたのが一九一九年のことで、以来八十六年間も語り継がれてきた反日・抗日の原点だった。何か日本の言動が気にさわると、さーっと〈五・四運動〉までフィードバックしていく。
一時的どころか、ほとんど永久的なのである。小泉さんはその認識をどの程度身につけ、さきほどのような反省・謝罪をしているのか。小泉さんだけではない。国会議員のみなさん、そして、私たち国民一般も問われている。
〈五・四運動〉は書物を見ればいくらでも書いてあるが、どこまで実感として認識しているかだ。日中史を少しばかり遡ってみる。
中華人民共和国の成立が、いまから五十六年前の一九四九年、その前、植民地支配、侵略の舞台になった日中戦争は、盧溝橋事件(三七年七月七日、北京郊外)に始まり、日本の無条件降伏(四五年八月十五日)まで続いた。それ以前には、満州事変の発端になった、関東軍の謀略による柳条湖事件(三一年九月十八日、瀋陽郊外)が起きている。これらの日付がすべて抗日記念日になった。
数年前、私は事件の跡地をたどるツアーに参加した。どこにも立派な抗日記念館があり、国内各地から団体の見学が絶えない。実地教育が日常のことになっていた。
そして、柳条湖事件からさらに十二年遡ると〈五・四運動〉だ。日本ではこの年に宮沢喜一さん、前年に田中角栄さん、中曽根康弘さんが生まれている。そんな間隔だから、肌で知る日本人はほとんどいない。
ロシア革命の影響で毛沢東らが中国共産党を結成するのは二年後のことだ。中国はまだ外国の植民地支配から脱出できていない。そんななか、第一次世界大戦が起こり(一九一四年)、中国も参戦した。この機会に国際的地位の回復を図ろうとしたわけで、パリの対独講和会議(一九年)にも代表を送っている。
しかし、中国は山東省のドイツ権益の返還を求めたが認められず、日本に付与されようとした。大戦中、日本が山東利権の譲渡など二十一カ条の要求を出し、現に山東に出兵して民政を敷いていたからだ。
これに憤慨した学生約三千人が五月四日、北京の天安門広場に集合して条約調印拒否、親日官僚罷免、日本製品排斥などを要求、デモを行いストライキに入った。多くの逮捕者を出し、騒ぎは全国に波及する。これが愛国抗日の〈五・四運動〉であり、その後の共産主義革命の起点に位置づけられ、文化運動の象徴としてもイメージされた。五月四日はいま〈青年の日〉になっている。
中国大陸を舞台に、欧米列強と競い始めていた日本の言い分もあるだろうが、中国にとっては日清戦争(一八九四〜九五年)敗北以来の屈辱の歴史だった。
この百年余の日中関係史を、小泉さんが言うように、日本人は果たして〈痛切に〉理解しているか。小・中・高の歴史教育のやり方を見直すべきではないか。
「縄文・弥生から始めると、とても近現代までは届かない」
と歴史教師から聞く話である。だが、是正されたためしがない。
歴史教育は〈いま〉から始めて〈過去〉に遡るべきだと私は思う。そうでないと、近現代史はいつまでも空白かぼんやりした理解のままだ。
中国の愛国教育は過剰だが、日本の歴史教育は希薄すぎる。