構造機能主義

「構造機能主義」についてのメモ。構造機能主義とは…
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構造機能主義 †

  • G・A・アーモンド(Gabriel A.Almond …政治文化論の項にも登場)とB・パウエル(Bingham Powell,Jr.)は,1950年代のアメリカの比較政治学について三つの欠点を指摘。
  1. ヨーロッパ大国とソ連のみを研究対象とする地方主義(provincialism),
  2. 非理論的で一般的な仮説の構築を志向しない記述主義,
  3. 制度や手続きの公的側面のみをみて現実に機能しているあり方に注意を払わない形式主義(formalism)

アーモンドは,第三世界の現実を分析するために,「政治発展(political development)」という新しい概念を生み出し,その分析アプローチとして「構造機能主義(structural functionalism)」を提唱した。

この画期的な研究プログラムにもとづいて,ソ連,東欧,アフリカ,アジア,ラテンアメリカの数々の事例を分析し,一般理論を構築する困難な作業が始まった。特に1960〜70年代における比較政治学の発展には目をみはるものがあり,政治学のなかで比較政治学が理論構築の中心となった。

 構造機能主義は,相互依存的な要素から構成される自己均衡的(homeostatic)なシステムとして政治システムを捉えた。研究者たちは,システム構成要素(諸「構造」)を確定すると同時に,各構造が果たす「機能」に注目した。ここでの「機能」とは,政体のなかで均衡が生まれ維持されるために不可欠な働きを意味している。構造機能主義アプローチにおいては,さまざまな制度,規範,価値が同一の機能を果たしていると考えられた。さらに,当初はさまざまに異なっていたシステムも,経済発展,世俗化の進展,識字率の上昇,官僚制度の発展などからなる「近代化」過程を通じて,最終的に政治発展を達成する,という図式が想定された。

 アーモンドが指揮した社会科学研究評議会(Social Science Research Council)の研究グループは,今日では第三世界と呼ばれる国々の政治発展に関して構造機能主義にもとづく理論的・実証的研究を次々と発表した。さまざまな国々で新しいデータが収集され,クリエンテリズムや一党制国家などの国家一社会関係の新側面が問われ始めた。先進諸国間のみの比較は過去のものとなりつつあった。

 先進産業諸国の研究についても,構造機能主義革命はデータの集積方法と分析手法に大きな刷新をもたらした。
 イギリス,イタリア,西ドイツ,メキシコにおいて大衆の意見を分析したアーモンドとヴァーバの'The Civic Culture'(『現代市民の政治文化』)以後,アメリカ政治研究で発展した世論調査は比較政治学の分野でも一般的になった。投票選好,選挙結果,市民の政治参加のあり方,階級その他の亀裂の深刻さ,政党帰属意識,エリート・大衆間の価値観の違いなどに関する調査が一般化し,「比較政治行動」研究は確立された政治学の一分野となった。

先進産業諸国における市民の「脱物質主義的」価値の出現を実証的に明らかにしたR・イングルハート(Ronald Inglehart)は,これらの国における環境保護運動の台頭,既成政党の衰退などに説明を与えた。

構造機能主義の衰退 †

 しかし,1970年代初頭には競問視されるようになり,1980年代にはその輝きを失っていった。
 アメリカ国内では,検証可能な仮説を導出し実証的にテストするには,構造機能主義はあまりにも抽象的であるという批判が次第に増えていった。とりわけ,構造機能主義のアメリカ中心的,自由主義的性格とその限界が明らかになってきた。

 政治的安定は,アーモンドが述べたように,英米型システムのみではなく,社会が「セグメント化」されたオランダなどの多極共存型システムでも達成されることが明らかとなった。

 さらに,政治システムを自律的なものとする政治発展論の前提も批判の対象となった。政治発展論の主な対象であった「周辺」諸国の政治システムは自律的ではなく,むしろ先進国経済への従属的性格が認識されるようになってきた。第三世界の多くの国で,誕生したばかりの民主政は度重なるクーデターにより,次々と独裁者による支配に落ちていった。政治発展論の自由主義的立場からの楽観的予想は,これら過酷な第三世界の政治の現実の前に裏切られていった。
 このような現実を目の当たりにして,S・P・ハンチントン(Samuel P. Huntington)は,政治的衰退の概念を提出し,制度の重要性を説いた。また共産圏諸国では,非民主主義的イデオロギーを背景とし,近代テクノロジーを活用して国民を支配する全体主義体制が確立され,民主主義の可能性は封殺されたかにみえた(Friedrich and Brzezinski,1956)。

 ヨーロッパの研究者たちは,アメリカ合衆国で生まれた理論である構造機能主義の非歴史性と多元主義的前提の限界に直面していた。第三世界の政治システムとは異なり,ヨーロッパ政治は自己均衡的であったが,政治システムを構成する各要素間の相互依存のあり方や諸制度の形態は,米国産の構造機能主義の想定とは大きく異なっていた。

 ヨーロッパにおける秩序の高さは,重複した亀裂パタンや国家介入の少なさによって可能となったわけではなかった。ヨーロッパの人々にとってシステム論の「非歴史性」は,さまざまな「歴史的遺産」やその帰結と相容れないものであった。






2007-03-10 (土) 21:40:15 (3932d)