江戸期

「江戸期」についてのメモ。江戸期とは…
HOME > 江戸期

日本経済:江戸時代

日本経済史:江戸時代 †

幕藩体制と農民支配 †

  • 江戸時代の社会体制は,政治的には,将軍及び大名,たちによる強力な統治・支配,経済的には武士階級による農業生産への収奪を基礎として成り立っていた。このような体制は,一般には幕藩体制とよばれる,経済の基礎を担う農民は,「士農工商」と位置づけられた封建的秩序の中で,武士に次ぐ高い地位を与えられてはいたが,さまざまな法令によって厳しい統制下に置かれていた*1。さらに,その上うな下で,農民には重税が課せられ,本年貢(本途物成)をはじめ,その他の雑税として、小物成、国役,高掛物,助郷など,労役をも含む多様で大きな負担が課せられていた。

初期の生産の増大と経済発展 †

  • 元禄(1688〜1703年)の頃になると,新田開発による耕地面積の増加とともに,農業技術も一段と進歩して,農業生産が拡大した。干歯扱(せんばこき)や備中鍬などの農具や,油かす,干鰯(ほしか)などの肥料もこの頃になると使用され始め、また作物としては油菜,茶,紅花等の商品作物の生産が盛んになった。これらの農業生産の拡大の背景には,鎖国の完成による国内市場圏の確立と交通手段の整備(五街道・脇往還,宿場町など)があり,特にそれらによってもたらされた商業の発展か大きな要因となっていた。
  • 江戸,大坂,京都の三大都市は,増大した農産物の集散地となり,商業か発達した。特に大坂は「天下の台所」といわれ、全国経済の一大中心地となった。そのような商業の発達にともなって,商人たちは利益の独占をほかって,江戸の十組問屋,大坂の二十四組(江戸積)問屋など,株仲間を結成した。また,為替の使用も両都間では行なわれるようになった。
  • さらに,それら都市間や生産地を結ぶ輸送路として,水路,水運も無価された。角倉了以によって富士川,保津川の水路が開拓されたり,海運としては,南海路(大坂一江戸間)に菱垣廻船、樽廻船が現われたりした。また,河村瑞賢による西廻り(日本海沿岸−瀬戸内−大坂),東廻り,(酒田−太平洋沿岸−汀戸)の航路開設は,各地の港の隆盛を生み(例えば,佐渡の小木、能登の福浦,山陰の湯泉津など),遠隔地間の物資の大量輸送を容易にすることとなった。

荻原重秀・新井白石の経済政策 †

  • 将軍綱吉の元禄期には,商品経済の発達による華美な生活がはやり,幕府財政が赤字となったため、勘定奉行の荻原重秀は1695(元禄8)年から貨幣の改悪鋳造を始め、500万両余の利益をあげた。しかし,これによって物価高騰を招き、一般庶民の生活を苦しめることになった。そのような荻原の政策は、次の将軍家宣の時代になって,新井白石の登用によって改められた。白石は1714(正徳4)年には,正徳金銀を作って以前の品位の貨幣に戻し,物価の安定を図った。しかし,白石の政治は形式的に流れすぎ、十分な成功をみなかった。

日本経済史:幕末 †

  • アメリカ合衆国の使節ペリーが軍艦を率いて来航し,幕府はその圧力に妥協して,1854(嘉氷7)年日米和親条約を締結し,下田,箱(函)館の2港を開き,開国にふみきった(イギリス,ロシア、オランタとも締結)。
  • その後,1858(安政5)年には,日米修好通商条約か結はれ,上の2港に加え,神奈川,長崎、新潟,兵庫(神戸)の4港が開かれ,本格的な貿易か始まった。同時に、オランダ,イキリス,フランス,ロシアとも同様な条約が締結された(安政の5か国粂約)。しかし,この条約は,関税自主権を失った不平等なものであった。
  • 開国により,日本からは生糸,茶などの半製品,食糧品か輸出され,国内の生産力か高まり,マニュファクチュア経営が発展した。
  • 反面,国内消費物資に欠乏が生じ,物価騰貴を招いた。また,外国との金銀の比価の違い(日本は,金,銀=1:5,外国は1:15)から,約500万両にも及ふ金が海外に流出した。
    そのような市場の混乱のため,幕府は,1860(万延1)年,雑穀,水油,ろう,呉服,生糸の5品目を江戸に回送すること(五品江戸廻令)を命じた。また大量の綿織物が安価で輸入されたので,国内の綿生産は大きな打撃を受けることになった。

*1 幕府による農民統制の法令としては、田畑永代売買の禁止〔1643年〕,慶安の御触書〔1649年〕,分地制限令〔1673年〕…など





2008-07-24 (木) 17:10:12 (3262d)