洪武帝

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こうぶてい

洪武帝 †

  • 朱元璋(しゅげんしょう)の項目を参照。

中国,明の第1代皇帝(在位1368〜98)。姓名は朱元璋,廟号は太祖。貧農の子に生れ,若くして孤児となり托鉢僧をして暮したが,のち紅巾軍の部将郭子興の部下となって頭角を現した。元の江南の拠点南京を占領,呉王と称し,さらに各地の群雄をくだして明朝を建て(68),洪武と建元し,同時に元をモンゴルに駆逐して中国を統一。漢民族王朝を回復して漢,唐の治世に返ることを旗印にしたが,単なる復古主義ではなく皇帝独裁体制の確立を目ざした。中央では洪武13(80)年中書省を廃止して六部を独立させ,都察院(検察),五軍都督府(軍事)をおき,これらを皇帝に直属させた。地方でも布政使司(行政),都指揮使司(軍事),按察使司(検察)の3権を分立しておのおのを中央に直結し,皇帝はこの統治機構のうえに立って絶大な権力を握った。また皇子たちを全国の要地に分封し,帝国の防護にあたらせた。一方農民統治策としては里甲制を設け,賦役黄冊や魚鱗図冊をつくらせて租税,力役の徴収を確実にし,政治の浸透をはかった。しかし皇帝独裁権の強化を目指す彼の制度改革は胡惟庸,藍玉の獄などによる功臣の粛清や,錦衣衛を中心とするスパイ組織を使った恐怖政治によって実現したのであって,彼は一代で10万人もの人を殺した。その結果,皇帝権は絶大となったが,晩年は皇太子標にも先立たれ,孤独のうちに病没した。→7-341 洪武帝,13-125 中国史






2007-03-10 (土) 21:40:20 (3851d)