三木内閣(1974年12月〜1976年12月)
田中首相の後任には、大平と福田が激しく対立していたこともあり,自民党副総裁・椎名悦三郎の裁定で,「クリーン」なイメージを持つ三木が就任した。三木首相は、金権政治批判を背景にマスコミと野党の支持で党内反対派を抑え込み,公職選挙法と政治資金規正法を改正したものの,独占禁止法改正には,自民党内と財界の反対で失敗。
しかし、1976年2月,アメリカで日本に対する航空機売り込みをめぐるロッキード事件が発覚。三木首相は世論の支持を背景に前首相の田中を逮捕。これで自民党内の「三木おろし」が強まり,任満了による1976年の衆議院総選挙を、自民党は反三木派が福岡を次期首相候補に担ぐ分裂状態で戦い敗北。三木首相は,この責任を取る形で退陣した。