自由からの逃走

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『自由からの逃走』 †

新フロイト派の精神分析家・社会思想家エーリヒ・フロム(1900〜80)が1941年に刊行した初期フランクフルト学派の代表作。
彼は本書でフロイトの精神分析とマルクス主義との統合をなしとげ,その成果を社会心理学的分析に応用。

フロムによれば,近代人は中世社会の封建的拘束から解放され,自由を獲得したが,孤独感や無力感にさらされることにもなった。その結果,彼らはこれに耐えきれずに「自由からの逃走」を開始し,サド・マゾ的な傾向をもつ「権威主義的パーソナリティ」を形成する。ファシズムの信奉者たちが,ヒトラーという権威のためなら喜んで自ら犠牲になる一方で,自分より劣った者,たとえばユダヤ人を虐待し,自らの劣等感を解消しようとする心理状態は,このパーソナリティのあらわれである。フロムのこうした方法論は他のフランクフルト学派のメンバーに大きな影響を与えた。

エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』 †

  • アメリカの社会学者コーンハウザー『大衆社会の政治』
    • 大衆社会論の二つのタイプとして、大衆社会の貴族主義的批判と民主主義的批判をあげた
  • 貴族主義的批判
    • 大衆参加の登場をまえにしてそれに反対するエリート的価値の知的防衛を主題とする
  • 民主主義的批判
    • 全体的支配に荷担するエリートの台頭をまえにしてそれに反対する民主的価値の知的防衛を主題とする
  • 1930年代
    • 貴族主義的批判の代表
    • 民主主義的批判の代表
      • フロムの『自由からの逃走』
  • 『自由からの逃走』は、フロムのアメリカ亡命中の著作。フロムは、ナチズムについて、次のように述べる。

    「われわれはドイツにおける数百万の人々が、かれらの父祖たちが自由のために戦ったと同じような熱心さで、自由を捨ててしまったこと、自由を求めるかわりに、自由から逃れる道を探したこと、他の数百万は無関心な人々であり、自由を、そのために戦い、そのために死ぬほどの価値あるものとは信じていなかったこと、などを認めざるをえないようになった」

  • 「自由からの逃走」といった事態が生ずるわけだが、フロムによれば近代社会の機構は、人間をよりいっそう独立した、自律的な、批判的な存在にするとともに、いっそう孤立した、孤独な、恐怖にみちた存在にする。近代人は、一方では自由を享受したいという欲求をもちながら、他方ではなにかに頼りたいという欲求を持つ。
  • こうした近代人の自由の二面性に、ナチズムやファシズムの心理的温床をフロムは見出した。

自由をえたいという内的な欲望のほかに、おそらく服従を求める本能的な欲求がありはしないだろうか。もしそういうものがないとしたら、指導者への服従が今日あれほどまでに多くの人々を引きつけていることを、どのように説明したらよいであろうか

  • 大衆社会論の文脈におけるファシズムあるいはナチズムの研究の代表作…1933年刊行のライヒ『ファシズムの大衆心理』や1940年刊行のレーデラー『大衆の国家』。
  • 『ファシズムの大衆心理』
    • オーストリア生まれの精神分析学者ライヒは、マルクスとフロイトの理論の綜合にたって、ファシズムの大衆的基盤を下層中産階級の権威主義的イデオロギーに求める、独自のファシズム論を展開。
  • 『大衆の国家』
    • ドイツの経済学者、社会学者レーデラーは、無定型な大衆を基盤とする社会体制としてファシズムやコミュニズムをとらえる、独自の近代独裁訓論を展開。かれらもまたフロムと同様、アメリカヘの亡命者であった。
  • 1942年に刊行されたジグムント・ノイマンの『恒久の革命』やフランツ・ノイマンの『ビヒモス』なども同様の傾向にたつ。
  • フロムの『自由からの逃走』は、近代人の自由の二面性を指摘しつつ、それを克服する道を人間の自発的活動に求めた。

    他人や自然との原初的な一体性からぬけでるという意味で、人間が自由となればなるほど、人間に残された道は、愛や生産的な仕事の自発性のなかで外界と結ばれるか、でなければ、自由や個人的自我の統一性を破壊するような絆によって一種の安定感を求めるか、どちらかだということである






2008-11-18 (火) 23:46:37 (2843d)