従軍慰安婦

「従軍慰安婦」についてのメモ。従軍慰安婦とは…
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“慰安婦”問題 †

1970年代に千田夏光らの著書でとりあげられたが、九〇(平成二)年以来日本の戦争責任・戦後責任問題として浮上、特に女性に対する人権侵害、暴力として問題化。直接には当時の韓国挺身隊問題対策協議会の尹貞玉(ユン・ジョンオク)代表の八〇年からの調査結果が新聞に連載され、高揚期にあった韓国女性運動が取り組んだことがきっかけとなった。九一年八月、韓国の金学順(キム・ハクスン、九七年一二月没)さんが名乗りをあげ、以後、韓国・フィリピン・オランダ・在日韓国の女性たち六五人が、日本政府に謝罪と補償を求めて提訴。国連人権委員会ラディカ・クマラスワミ「女性に対する暴力特別報告書」の報告は、従軍慰安婦は性奴隷であり人道に対する罪にあたるとして、日本政府の法的責任、個人補償、加害者処罰など六項目を勧告。国連人権委員会は九六年四月、クマラスワミ報告を採択した。九七年四月からの、この問題の中学教科書掲載をきっかけに、これに反対する自由主義史観派と、慰安婦問題に取り組んできた人々の間で、強制連行や公文書の有無をめぐって論争があった。九八年四月、元従軍慰安婦たちの日本政府への損害賠償請求裁判(関釜裁判)で、山口地裁下関支部は女性の基本的人権の侵害として訴えを一部認めた。九三年当時の内閣官房長官が国の関与を認めた時点で、賠償立法の義務が生じたのに、今なおそれを怠っているとして、国の責任を認める判決を出した。九八年、国連人権委員会差別防止・少数者保護小委員会委員ゲイ・J・マクドゥーガルは、責任者処罰等を勧告した報告(マクドゥーガル報告)を提出した。






従軍慰安婦 †

日中戦争太平洋戦争において、朝鮮などアジアから「女子挺身隊」の名で動員され、兵士相手に慰安所で性の相手となることを強要された女性たち。1991年韓国などの元従軍慰安婦から補償と謝罪要求が提起された。

“従軍慰安婦”という名称 †

“慰安”とは、加害将兵(男性)の視点に立った一方的な表現であり、“従軍”にも女性が自発的についていったというニュアンスがあり、見直しが提唱された。そこで“”などをつけて批判の意を表すようになった。
 英語においても当初、「慰安婦」を直訳のcomfort womanが使われたが、93年のウィーン世界人権会議以降は、性奴隷(sexual slave)や性奴隷制(sexual slavery)が使われるようになった。

慰安所 †

 陸海軍による慰安所設置が文章で確認できる最初の事例は1932年、第一次上海事変のときであり、その後、中国東北(“満州”)にも設置されていった。
 より広範囲に始まったのは1937年7月の日中全面戦争勃発以降の南京攻略戦の最中で、陸軍の派遣司令部が、直接、慰安所設置にあたった。太平洋戦争が始まると陸軍中央自ら設置に乗り出した。

慰安所の目的 †

  1. 占領地女性への強姦によって生ずる対日感情悪化の防止
  2. 性病予防、占領地女性を買春することなどによる性病罹患が招く兵力低下の防止
  3. 兵士の不満、暴発防止、および戦意高揚
  4. 軍の機密保持とスパイ防止

メモ †

  • 光栄(KOEI)が制作した『提督の決断』というゲームソフトに…兵士の士気を上げるため、基地に上陸して「慰安」というコマンドが存在した。批判をあびたことがあった。





2007-03-10 (土) 21:42:35 (3911d)