→新古典派
neoclassical economics
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元来は A. スミス,D. リカード,J. S. ミルらのイギリス古典派経済学に対して,限界革命以降の A.マーシャルを中心とする A. C. ピグー,D. H. ロバートソンらのケンブリッジ学派の経済学を指す。
古典派(古典学派ともいう)と新古典派(新古典学派ともいう)との基本的な相違は,前者が商品の交換価値(〈価値〉の項参照)はもっぱらその生産に投下された労働価値によって決まるとしたのに対して,後者は価値の由来を生産費とならんで需要側の限界効用に求める点にある。たとえばマーシャルは,生産費に基づく供給曲線と主観価値説に基づく需要曲線との交点に需要供給の均衡が得られる,とした。そのうえで,短期的に価値に影響を与えるのは主として限界効用であるが,長期では生産費であるとして,主観価値説と古典派の価値理論とを統合した。しかし,今日新古典派経済学という言葉はもう少し広義に用いられ,アメリカ,スカンジナビア諸国,イギリス,オランダでは中心的位置を占め,日本,フランス,ドイツ,イタリアにおいても支配的となりつつある正統派経済学の中心的理論体系を指すのが普通である。
今日の新古典派経済学は,学説史的には1870年代にイギリスの W. S. ジェボンズ,オーストリアの C. メンガー,フランスの L. ワルラスによって始められた限界革命と,ローザンヌ大学でワルラスのあとを継いだ V. パレートに始まる規範的経済学を基礎としている。このうちとくに J. A. シュンペーターによって,最も偉大な経済学者として科学史におけるニュートンになぞらえられたのは,一般均衡理論の創始者ワルラスであった。ワルラスの貢献は限界効用概念を導入しただけでなく,社会の経済循環を初めて,すべての生産物と生産要素の市場において,それぞれの財の価格を媒介として需要供給の均衡が成立する一般均衡体系としてとらえる見方を確立したことである。
今日の新古典派経済学を他の学説から分かつ特徴は,第1に,消費者および企業はきちんと定義された目的関数を最大化するような合理的行動をとると仮定することにあり,第2に,経済財の取引には広範な市場が存在して,しかも価格が伸縮的に動いて需要供給の一致が比較的スムーズに起こると仮定することにある。そのうえですべての財の市場において価格支配力をもつ経済主体が存在しないならば,一般均衡が成立することを立証し,しかもその均衡はパレート最適であるがために規範的にも望ましいことを主張する。1930年代に行われた J. ロビンソンや E. チェンバレンの独占的競争理論も,独占の弊害を指摘し,市場が資源配分にバイアスをもたらすことを明らかにしたものの,合理的行動と市場均衡という新古典派の基本仮説を否定するものではなかった。
ところが,J. M. ケインズの《雇用・利子および貨幣の一般理論(一般理論)》は,新古典派からの逸脱であり,ケインズ革命とよばれるにふさわしい出発点であった。そこにおいてケインズは,企業および家計の合理的行動は一部認めつつも,価格の市場調整機能を否定し,短期的には価格よりも生産販売数量のほうが伸縮的であること,および貨幣を含む市場経済においては不均衡現象としての非自発的失業がむしろ常態であることを強調した。
他方,1950年代には,ワルラスの構想した一般均衡モデルに有意な解の存在することが数学的に証明され,60年代には市場均衡の安定性を保証する条件がつきとめられた。またソローRobert Merton Solow(1924‐ )は,価格機構に導かれて生産における要素間の代替がスムーズに起こり,さらに貯蓄と投資の均等ももたらされるとする新古典派経済成長モデルを提示し,経済が自然的成長率経路へ安定的に収束する姿を描いてみせた(新古典派的成長理論)。
⇒近代経済学