574-622
- 用明天皇の皇子。母は穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后。名は厩戸豊聡耳(うまやどのとよとみみ)皇子。
- 豊聡耳(とよとみみ)皇子・上宮(じようぐう)太子ともいう。
上宮太子(うえのみやのみこ)・法大王(のりのおおきみ)・上宮聖王などとも呼ばれた。聖徳太子は諡号(しごう)。
- 叔母推古天皇の摂政として内政・外交に尽力。
- 冠位十二階・十七条憲法を制定して集権的官僚国家の基礎をつくり、遣隋使を派遣して大陸文化の導入に努めた。
- また、広く学問に通じ、深く仏教に帰依(きえ)して、法隆寺・四天王寺ほか多くの寺院を建立するなど仏教振興に尽くした。著「三経義疏」
- かつて聖徳太子の肖像が紙幣として用いられた。一万円札、それ以前は千円札。
- 冠位十二階(603)
- 人材登用を図るための才能・功績に応じた位階制度。従来の「姓」を排除したわけではなく冠位は個人一代限りが原則。
- 十七条憲法(604)
- 天皇への絶対服従、衆議の尊重、和の重視を定めた豪族への服務規定。
- 遣隋使の派遣(607)
- 小野妹子を派遣。留学生(高向玄理、南淵請安)が同行。「日出ずる処の天子、書を日没するところの天子に
対等外交を求める国書に隋の皇帝
帝は激怒した。
2007-03-10 (土) 21:44:04 (4657d)