西洋文明

「西洋文明」についてのメモ。西洋文明とは…
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西洋文明の成立〜帝政ローマ †

  • 地中海地域では、紀元前2000年頃クノッソスを中心とする青銅器文明で海洋的性格のクレタ文明がおこった
  • 南下してきたアカイア人によって、戦闘的性格のミケーネ文明が形成。
  • ミケーネ文明も紀元前1200年頃破壊され、その後南下してきたドーリア人が定着。

紀元前9世紀〜紀元前8世紀になると、ギリシア本土各地にポリスが形成された。
ギリシア人は自らをへレネス、異民族をバルバロイとよんで、共通の同胞意識をもっていた。イオニア人のポリスのアテネでは、貴族を中心に集住し、アクロポリスとアゴラを核とするアッティカ型ポリスを形成した。

  • アテネでは、原始王政から貴族政に移行したが、商工業の発展の結果、紀元前7世紀頃から重装歩兵として平民が台頭、参政権を要求。ドラコン法の制定、ソロンや改革による財産政治、クレイステネスのオストラシズム(陶片追放)の改革などを経て、民主化が進められ、ペルシア戦争を契機にしてペリクレス時代に直接民主政が完成した。

デロス同盟とペロポンネソス同盟が対立したペロポンネソス戦争以後、ポリス間の抗争が続き、民主政治は次第に衆愚政治へと転化していった。紀元前4世紀の後半になると、フィリポス2世指揮下のマケドニアにカイロネイアの戦いで破れ、その支配下に入ることとなった。その後、東方遠征を行ったアレクサンドロス大王は、イッソスの戦い、アルベラの戦いでペルシアを破り、各地にアレクサンドリア市を建設し、ヘレニズム文化の基礎を築いた。

ローマ帝国 †

ティベル河畔にラテン人が建国したローマは、エトルリア人の王を追放し共和政を樹立したが、最初は貴族共和政で2名のコンスル(統領)と立法機関の元老院を中心に運営されていた。重装歩兵の担い手たる平民は、半島制覇の戦争の進展に伴って、参政権を要求。護民官の設置に始まり、コンスルの一人を平民出身とすることを定めたリキニウス法(紀元前4世紀前半)、を経て、平民会の決議も国法とすることを定めたホルテンシウス法(紀元前3世紀前半)の成立によって、貴族と平民は法的に対等の権利をもつようになり、民主共和政が成立。

ローマは、半島内で植民市、自由市、同盟市をつくって分割統治を行っていたが、三度にわたるポエニ戦争でカルタゴを滅ぼして以後、ローマは征服戦争を継続し海外に多くの属州を獲得し地中海帝国を成立させていく。同時に、社会の変質がもたらされた。海外属州からの安価な穀物の流入によって重装歩兵の担い手たる自作農が没落した結果、傭兵制の進展とラティフンディウム(奴隷制大規模農園)の発展がもたらされた。これに伴い、閥族やエクイテス(騎士)階級が勢力を伸展させた。こうした状況を背景に、自作農の再建をめざしてグラックス兄弟の改車が試みられたが、元老院の反対で失敗に終わり、紀元前1世紀に「動乱の1世紀」を迎えた。第一回の三頭政治を経て独裁政治を行ったカエサルが暗殺された後、第二回三頭政治が開始されるが、第二回三頭政治も破局を迎え、プトレマイオス朝エジプトのクレオパトラと提携したアントニウスをオクタヴィアヌスがアクティウム海戦で破り、民主共和政は実質的に終焉。

帝政ローマ †

オクタヴィアヌスは、元老院からアウグスツスの称号を受け、プリンケプス(元首)として元老院との共和統治を行う元首政をとった。元首政は、形式上は、共和政であったが、実質は帝政であったので、以後ローマは帝政期と区分する。
帝政ローマは、五賢帝のトラヤヌス帝時代に領土が最大になり、3世紀のカラカラ帝の時代には、アントニヌス法で全属州の自由民にローマの市民権が付与された。「パクス・ロマーナ」で奴隷が減少し、ラティフンディウムが行き詰まり、商業活動の停滞で自然経済の比重が高まると、コロヌス制が成立。ササン朝の侵入などの異民族の侵入で、軍人が皇帝に擁立されるよう(軍人皇帝時代)になると、皇帝の権威は大きく揺らいだ。

ディオクレティアヌス帝の時代に、ドミナツス制(専制君主政)が開始。以降帝政後期と区分する。コンスタンティヌス帝の時代になると、キリスト教徒を帝国統治の枠内に収め、国家的統一を維持することを目的として、ミラノ勅令が発布された。また、ビザンティウムはコンスタンティノープルと改名され、首都が移転された。4世紀末のテオドシウス帝の時代になると、キリスト教を国教と定め、帝国を二分して二子に与えた。テオドシウス帝の死後、帝国は完全に東西に分離した。

キリスト教の発展と弾圧 †

  • ユダヤ教の選民思想と戒律主義を批判しユダヤ教の改革を志向していたイエスがユダヤ教徒の反感の中で処刑された後、彼の弟子である使徒らによってイエスをキリスト(救世主)とするキリスト教が成立する。
  • キリストの死後成立したキリスト教は、ペテロパウロら使徒の伝道活動によりローマ全土に広まるが、皇帝崇拝を認めなかったのでネロ帝以後弾圧を受け、多くの殉教者をだした。

ペルシア †

カンビセス王の時にオリエントを統一したアケメネス朝ペルシアは、ダリウス1世の下で隆盛を極めた。ダリウス1世は、サトラップ制度と「王の目、王の耳」と呼ばれる監察官制度などを用いて、中央集権体制を樹立したが、ペルシア戦争でギリシアに破れ、以後国力が衰え、最後にはマケドニアのアレクサンドロス大王によって滅ぼされた。






2007-03-10 (土) 21:44:07 (3875d)