石橋湛山

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石橋湛山 †

1884-1973

政治家。東京生まれ。早大哲学科卒。東洋経済新報社社長を経て、第二次大戦後第一次吉田内閣蔵相。1956年(昭和31)自由民主党総裁となり、内閣を組織したが、病に倒れ三か月足らずで辞職。日中・日ソ交流促進に尽力。


 首相在任期間はわずか71日と羽田孜政権に次ぐ短かさだったが、その思想性、先見性は今でも光っている。

 早大哲学を卒業した後、東洋経済新報に入社した。後に社長まで務めた。注目すべきは、わが国が海外進出を目指す膨張主義=大日本主義に大正期から反対、「小日本主義」を提唱した点だ。根っからの自由主義者で、戦前は軍部から散々睨まれ続けた。

 戦後、自由党に入党し、61歳で第1回総選挙に立候補した。落選したものの46年の第1次吉田茂内閣では蔵相に起用された。ケインズ流の積極経済を展開する一方、占領軍にも妥協せず、それがもとで公職追放になってしまった。

 追放解除後は反吉田に徹し、鳩山一郎政権樹立に奔走した。56年の自民党総裁選では、「2、3位連合」で逆転、岸信介氏を破り石橋政権を誕生させた。病気のため2カ月余りで退陣を余儀なくされた。その後は、中国、ソ連などとの友好関係を樹立に腐心した。波乱に富む一生は「政治家以上に思想家」と専門家の間では総括されている。

 最近の首相は、実父が地元の実力町長だった森喜朗前首相を含めると2世、3世ばかりだ。小泉政権が安定しているように見える最大の要因はライバル不在といわれている。人材不足は深刻だ。

 石橋元首相は67年、病床にありながらも「政治家にのぞむ」と、後輩たちに鮮烈なメッセージを残した。

「私がいまの政治家諸君をみて一番痛感するのは『自分』が欠けてているという点である」
「政治の堕落いわれるものの大部分は、これに起因すると思う」
「政治家にはいろいろなタイプの人がいるが、最もつまらないタイプは、自分の考えを持たない政治家だ」






2007-03-10 (土) 21:44:10 (3816d)