絶対主義

「絶対主義」についてのメモ。絶対主義とは…
HOME > 絶対主義

絶対主義 †

  1. 哲学で、絶対者または絶対的な真理や価値規準を認める立場。アブソリューティズム。相対主義。
  2. 君主が絶対的権力をもって支配する専制的な政治形態。16〜18世紀のヨーロッパで、封建国家から近代国家へ移行する過渡期に出現。王権神授説を背景に、常備軍と官僚制度に支えられ、経済政策としては重商主義をとった。市民革命によって近代国家へ移行。

絶対主義時代 †

  • 絶対主義時代は中世と近代の狭間にあって,ルネサンスと宗教改革を経て,ローマ・カトリック教会と中世封建貴族の勢力衰退の中から,国王の権力基盤が強化され,領域的な中央集権同家が形成されていく時代。
  • 中世中頃までは最大の封建領主にしか過ぎなかった国王が、十字軍百年戦争ユグノー戦争などで騎士が没落した機会を捉え、新興の市民階級(ブルジョワ)と提携して中央集権を強化。
  • 遠隔地貿易や、問屋制家内工業で富を蓄えた商業資本家にとって、封建的割拠体制が広域商業活動の妨げになった。国王に財政的援助を与え、封建体制の崩壊を狙うとともに、商業的特権を獲得しようとした。このように台頭する市民階級(ブルジョワ)と没落する封建貴族の均衡に立脚して成立した絶対主義は、中世から近代への過渡的政治形態で、前近代的な性格を多分に残していた。
  • 荘園制の解体が、荘園領主である諸侯、騎士を基盤とする軍事体制を解体させた。そこで国王は提携した特権商人から上がる巨大な利益を背景として傭兵を基盤とした常備軍を組織し軍事力を高め、宮廷貴族化した諸侯や騎士を吸収して官僚制度を整備。絶対主義の形成に伴う国費の増大で貨幣収入の必要に迫られた国王は、経済的基盤として、重商主義を採用。結果、各国が植民地獲得に力を注ぐこととなり、絶対主義時代は植民地抗争の時代ともなった。
  • 絶対主義を最も早く成立させたのはスペインとポルトガル。
  • スペインの絶対主義
    • アラゴンとカスティリャ両王国が合併して成立した。フェリペ2世の時代にオスマン=トルコをレパント海戦(1571年)で撃破し、またフィリピン占領、ポルトガル併合などで新大陸とアジアを支配下にもつことに成功し、「太陽の没することのない帝国」に発展した。スペインの絶対主義の特色は、経済基盤を、金、銀、貨幣を直接獲得する初期重商主義すなわち「重金主義」に置いていた。フェリペ2世の時最盛。アルマダ海戦の敗北とオランダの独立で衰退。
  • オランダの絶対主義
    • 16世紀後半にオレンジ公ウイリアムを中心にスペインからの独立戦争をおこし、1609年の休戦で事実上の独立を達成して都市貴族の共和政を成立させた。スペイン、ポルトガルに代わって東西貿易を独占し17世紀前には首都アムステルダムは世界の貿易、商業の中心となった。しかし、中継貿易に依存し、産業の発達が充分でなかったため、後にイギリスに圧倒された。
  • フランスの絶対主義
    • ナントの勅令でユグノー戦争を終わらせ、フランスの統一と王権の強化に努めたブルボン朝の創始者アンリー4世の時から始まる。次いで王位についたルイ13世は、宰相にリシュリューを用い、ユグノー、貴族を抑えて王権を安定させるとともに、宿敵ハプスブルグ家の弱体化を狙ってドイツの三十年戦争では新教側を援助するなど、国際的発言力を高めた。ルイ14世は、幼少で即位したので、宰相マザランのを助けをかりて政治をおこなった。反王権的貴族がマザランに反対しておこしたフロンドの乱を鎮圧し、貴族勢力を抑えることに成功。対外的には、三十年戦争後のウェストファリア条約でアルザスとライン左岸を獲得するなど領土拡大に成功。親政時代には、王権神授説の信奉者としてフランス絶対王政の最盛期を迎え、「太陽王」と呼ばれた。ルイ14世は、蔵相コルベールを起用し貿易差額主義の盛期重商主義を推進するとともに、領土拡大に努めたが、スペイン継承戦争でイギリス、オーストリア、オランダと戦いユトレヒト条約で継承権は得たもの、英、蘭に領土を割譲するなど、外征としてはあまり成果はあがらなかった。貿易差額主義で隆盛。ルイ14世の時最盛。「朕は国家なり」。ヴェルサイユ宮殿中心に宮廷の文化繁栄。
  • イギリスの絶対主義
    • 薔薇戦争を終結させたテューダー朝のヘンリー7世が、星室庁を設置し貴族を抑圧した頃から、絶対王政が始まり、自身の離婚問題から首長令を発して宗教改革をおこなったヘンリー8世の時にその基礎が確立。フェリペ2世と結婚して、カトリックに復帰していたメアリー女王のあとを受けたエリザベス1世は、統一令を発してイギリス国教会を確立し、徒弟法や救貧法を実施するなど内政に努め、海外政策においても、スペイン無敵艦隊の撃破や東インド会社の設立などの積極策で実績をあげ、イギリス絶対主義の最盛期を築いた。東インド会社の設立にみられる貿易差額主義と毛織物工業の保護・育成で隆盛。エリザベス1世の時最盛。
  • ロシアの絶対主義
    • モスクワ公国を建て初めてツァー号を使用したイワン3世、イェルマークを用いてシベリア開拓に着手し、中央集権化に尽くしたイワン4世(雷帝)の後を受けロマノフ朝が成立。ロマノフ朝のピョートル大帝は、西欧化政策を推進し、ロシアの近代化と絶対主義の確立に努めた。ピョートル大帝の時に、スウェーデンとの北方戦争に勝利し、バルト海沿岸を領有し、帝都ペテルブルグを建設。啓蒙専制君主として知られるエカチェリーナ2世は、2回にわたるトルコ戦争でオスマン=トルコからクリミア半島を奪い、ポーランド分割を強行。またオホーツク海に進出してアラスカ植民、千島の領有を行い、日本にラクスマンを派遣して通商を求めた。
  • ドイツの絶対主義
    • 三十年戦争で国土が荒廃し、ウェストファリア条約で各領邦君主に主権が認められ、神聖ローマ帝国が有名無実化するなど、中央集権化は遅れていた。しかし、オーストリアとプロシアで、フランス、イギリスの絶対専制君主とは異なった啓蒙専制君主による中央集権化が進められた。ブランデンブルグ辺境伯領とドイツ騎士団領を起源にもつプロシアは、ヴォルテールの薫陶を受けたフリードリッヒ大王の時代にオーストリアのマリア=テレジアの王位継承をめぐるオーストリア継承戦争、鉄、石炭の産地シュレジアの争奪をめぐる七年戦争で成果を収め、ポーランド分割をオーストリア、ロシアと共におこなうなど国力を高めたが、市民層が発達せず、地主貴族のユンカーが支配層を形成していたため、近代化が遅れることとなった。

-エリザベス1世の政策 †

  1. 統一令でイギリス国教会確立
  2. 東インド会社の設立
  3. グレシャムの貨幣改鋳
  4. 徒弟法(労働条件の規定)
  5. 救貧法(浮浪の禁止と強制就業)

ルイ14世親政時の政策 †

  1. コルベール登用による貿易差額主義
  2. ナント勅令の廃止→ユグノー弾圧
  3. ヴェルサイユ宮殿造営
  4. 対外侵略(ネーデルランド戦争、オランダ戦争、ファルツ承継戦争、スペイン継承戦争)

オーストリア継承戦争、七年戦争と英仏の植民地抗争 †

マリア=テレジアの王位継承を巡って争われたオーストリア継承戦争で、鉄、石炭の産地シュレジアをプロシアに奪われたオーストリア(ハプスブルグ家)は、外交革命で長年の宿敵フランス(ブルボン家)と提携するなどプロシア包囲網を作り、七年戦争という復讐戦争を挑んだが、シュレジアの回復はできなかった。

この二つの戦争は、英仏間の植民地争奪戦争でもあった。七年戦争は新大陸では「フレンチ=インディアン戦争」として戦われてフランス勢力を躯逐し、インドでは、東インド会社書記官クライブの指導の下「プラッシーの戦い」として行われ、フランス・ベンガル士侯軍を撃破し、イギリス植民地帝国の基礎が築かれた。

絶対主義時代の政治思想家 †






2008-05-26 (月) 17:20:06 (3223d)