占領改革

「占領改革」についてのメモ。占領改革とは…
HOME > 占領改革

連合国による占領 †

  • 太平洋戦線では,圧倒的な物量を誇るアメリカ軍が,ほとんど独力で日本軍を壊滅させため,実質的にアメリカが単独で日本を占領する形となり,連合国軍最高司令官マッカーサー元帥の指令・勧告に基づいて日本政府が政治を行う間接統治が行われた。

民主化政策 †

  • 連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は,日本の民主化・非軍団主義化のため,社会のあらゆる分野で占領改革を行った。元外相・幣原喜重郎が1945年10月に首相となると,マッカーサー元帥は幣原首相に憲法の自由主義化と,
  1. 婦人解放
  2. 労働組合の結成
  3. 教育自由化
  4. 圧政的諸制度の撤廃
  5. 経済民主化

の5大改革を指令。

ソ連の介入を防ぐため憲法改正を急ぐマッカーサー元帥は,幣原内閣の改正案が保守的で民主化が不徹底であるとみて,GHQ民政局に象徴天皇制と戦争放棄を2大特色とする改正案を1週間で作らせ,幣原内閣はこれに手を加えたものを政府原案として発表。帝国議会の審議を経て1947年5日3日施行。

政党の結成 †

1945(昭利20)年の暮れまでに諸政党が再編・復活。戦時中に抑圧されていた鳩山一郎を中心とする代議士が最も活発で自由党を結成。戦時中の御用政党だった大日本政治会は日本進歩党結成に漕ぎ着けたものの総裁を決定できず,産業組合運動関係代議士は日本協同党を組織。日本共産党を除く無産党諸派は日本社会党に合流。婦人参政権を認め大選挙区制とする選挙法改正の後,政府は帝国議会を解散。
しかしGHQは総選挙延期を指令して広範囲にわたる公職追放。を行い,進歩党が最も打撃を受けた。

戦後第1回の衆議院総選挙で第1党となった自由党総裁の鳩山が内閣を組織しようとしたとき,GHQは鳩山を追放し,自由党は急遽,幣原内閣外相吉田茂を総裁に迎えて組閣。GHQ民政局は吉田も保守的すぎるとみなしており,保守第2党の強化を策した。それが民主党で.日本国意法施行直前に行われた総選挙で社会党が第1党となり,社会党・民主党・国民協同党の保革連立による片山哲内閣,芦田均内閣と続いた。しかし冷戦の深刻化でアメリカの対日政策が改革から復興に転換。民政局の力が後退して芦田内閣は崩壊し,民主自由党の吉田内閣が復活。






2007-03-10 (土) 21:44:18 (3879d)