戦国時代

「戦国時代」についてのメモ。戦国時代とは…
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戦国時代 †

  • 日本史
  • 戦国大名が群雄割拠した動乱の時代。
  • 応仁の乱(1467-1477)から1568年の織田信長入京頃までの混乱期をいうが異説もある。群雄割拠、戦国大名の登場と下剋上の時代で、各地に戦乱が続いた。
    応仁の乱開始のころから織田信長が将軍足利義昭(あしかがよしあき)を追放して天下統一に乗り出すまでの約一世紀。
  • 中国史
    • 前四〇三年の晋の分裂から前二二一年の秦による中国統一までの動乱期。
    • 東周の後期。一般に晋の有力貴族の韓・魏(ぎ)・趙(ちよう)三氏が晋を三分して諸侯に封ぜられた前403年から秦が中国を統一した前221年までの動乱期をいう。

荘園制崩壊と戦国大名の出現 †

  • 鎌倉中期以降、地頭の荘園侵略(地頭請、下地中分)がすすんでいたが、室町期になると、守護が荘園侵略を行うようになった。有力守護は、半済令(荘園の年貢の半分を取得し武士に分与)、守護請を通して、領国内の地頭、土豪らを家臣化し、更に従来の大犯三ヵ条に加えて判決の強制執行権の使節遵行などを獲得して大名に成長した。こうした、荘園制崩壊を背景とした守護領国制の進展は、時に将軍権力と対立し、抗争の原因となった。
  • 荘園制の崩壊過程で、農業生産力の上昇と貨幣経済の発展から惣が形成されたが、更に惣は結合し、沙汰人・乙名などの名主層を中心にして連帯責任制の村掟を定めるなど郷村制が成立した。このような郷村は、正長の土一揆などの土一揆の母胎でもあった。
  • 将軍家、管領家の継嗣問題を契機とした応仁の乱は、幕府将軍権力の衰退を決定づけ、下剋上の風潮を強めて戦国時代の幕明けを象徴する戦いであった。
  • 応仁の乱に参加した守護大名の国許では、守護代、被官らが独立を図り、武力によって領土を獲得して分国ごとに独裁的権力をもつにいたったから。
  • 戦国大名は支配の強化、富国強兵をめざして、分国法を制定し、武士の城下町集住をすすめ、鉱業の開発、治水灌漑工事、楽市令、撰銭令、指出検地を行って国力の充実に努めた。戦国大名は、新規に召し抱えた家臣を有力武将に預ける寄親・寄子制をとっていた。武将や家臣は知行地を与えられ、その知行他の年貢を銭に換算した貫高にみあった軍役を負担させられた。
  • 貫高は、単に年貢銭納制に基づいて年貢高を銭に換算したものではなく、家臣の知行地を把握するための統一的な基準として大名権力により「上から設定」されたものでり、その意味でこの貫高制こそ戦国大名権力全体を貫く重要な「支配原理」であった。したがって、家臣の知行地を貫高制に基づいて正確に把握するために、領内における検地の実施が重要課題となった。





2007-03-10 (土) 21:44:21 (3703d)