その当時、技術進歩により生産現場の機械化が進みましたが、労働者の怠業とくに「組織的怠業」と呼ばれる大規模な怠業のせいで、機械化が進んでも生産性は落ち込む。当時の経営者の大きな悩み。そこで、仕事への動機づけを強化するため各種さまざまな賃金支払い制度が試みられた。賃金支払い制度を変え刺激を与えれば生産性は向上すると考えられた。しかし、賃金制度をあれこれ工夫しても全然効果がなかった。
このような状況下に、テイラーが登場。彼は賃金支払い制度よりも、作業自体を正確に把握し適切に仕事を割り当てることこそ重要。
テイラーは具体的で実証的でした。作業を綿密に観察し、正確なデータを集めて分析すれば、作業を行う最善の方法がわかり、作業量の標準が設定できると信じた。こうして科学的に基礎づけられ設定された作業標準は、怠業問題を克服するカギでもあった。言い換えると、徹底した科学的アプローチがマネジメントの問題を解決すると信じた点で、テイラーはユニークな存在だった。テイラーの重要な貢献は、科学としてのマネジメントを発明した。
テイラーが持ちこんだストップウオッチは、産業活動のリズムが広く社会全体を覆うようになる変化の前兆。それ以前には、時刻は夜明けや日没で知るものであり、教会の鐘の音で知るものだったが、やがて工場のサイレンや仕事に課せられたリズムが、生活の進み方をも決めるように
なった。時間は正確に測定しなければならず、また厳密に守らなければならないものになった。
作業の進め方に主として関心をよせたテイラーは、疑いなくマネジメントの意義を発見した先駆者の一人。それ以前の考え方では、土地と労働と資本が生産活動の三大インプットだったが、テイラーはそれに加えて、第四のインプットとしてマネジメントの意義を明らかにした。
テイラーの関心は、生産現場に軸足を置いた狭いものだったとの指摘もある。経営者の機能を「経営管理」(administrative management)と呼び、それがどういうものであるかを、最初に一般理論として確立するうえで大きく貢献したのは、テイラーよりもむしろフランスの鉱業会社の社長だったアンリ・ファヨール(1841-1925)である、という見方がある。工場の現場監督ではなく、まさに会社の経営者の視点に立って、マネジメントの一般性を最初に指摘。企業にも病院にも学校にも軍隊にも郵便局にも、およそあらゆる種類の組織に適用可能な、マネジメントの一般原則というものをファヨールは構想した。
しかし、仕事場に規律を持ち込み、効率最大化をめざすテイラーの考え方のなかには、直接にヘンリー・フォードの大量生産ラインにつながっていく要素が含まれていた。経営実践へのテイラーの影響は絶大だった。最適な業務プロセスがあることを信じて疑わないテイラーの思想は、1990年代の最もポピュラーな経営思想であるリエンジニアリング (代表的書物はマイケル・ハマー&ジェイムズ・チャンピー『リエンジニアリング革命』野中郁次郎監訳、日本経済新聞社) に受け継がれている、という説さえあるように、科学的管理法は経営学の世紀の全体に及ぶ影響を与えたといえる。
マネジメントの思想面における最初の大立者がテイラーだったとすれば、実践面における最初の大立者はヘンリー・フォード (18693-1947)。フォードのハイランド・パーク工場は1910年1月に操業を始め、1927年までに1500万台のモデルTが生産された。それは、大量生産システムの大勝利だった。自動車技術の先進的な開発と実用化は、主としてヨーロッパで進められたが、自動車産業が巨大産業として花開くのはアメリカにおいてであり、しかもこの点ではフォード個人の貢献が大きい。
大量生産システムを構成する要素技術やアイデアは、ヘンリー・フォード以前にも存在したが、フォードほど大規模に大量生産システムを構築し、成果を上げた例はなかった。事実、モデルTが存在した19年間に、フォードはアメリカで1550万台、カナダで100万台、イギリスで25万台を販売し、世界の自動車生産高の半分を生産しました。低価格のモデルTは、こうして驚くべき多数の人々の生活を変えた。
大量生産システムを構築・実践した初期の最大の貢献者として、フォードの業績は間違いなく偉大。しかし経営者としてのフォードには問題があった。
大量生産をマスターしたフォードは、次のステップとして、鉄も石炭もゴムもすべて自社で賄おうとした。こうして究極の垂直統合企業となったフォード社は、必然的に環境適応力を失っていった(W,Abernathy , The Productivity Dilemma, Johns Hopkins University Press,1978)。
ヘンリー・フォードとフォード社は、20世紀前半を代表する偉大な成功を収めた。けれどもその成功は長続きせず、やがてゼネラル・モーターズ・カンパニー(GM)に歴史的敗北を喫することになった。
マネジメントの先駆者たちは、テイラーもフォードも、大規模組織の複雑性には関心を持たなかった。テイラーは最適な作業方法さえ確定できれば会社を繁栄に導くことができると考えた。フォードの関心は、組織というよりはむしろ生産システムに置かれていた。
この点との関連では、テイラーとフォードが、二人とも元来エンジニア(技術者)であり、二人は企業経営の問題に、まさにエンジニアリング(工学)的に接近した。現場の作業方法や生産システムに関心が向かった。経営学は、こうしたエンジニアリング的接近によって出発した。
工業化や産業化の進展にともない、どういう組織が生まれるかに最初に強い関心をもったのは、第一に、ウェーバーに代表されるヨーロッパの思想家であり、第二に、アメリカのバーナードであり、そして第三にGMのスローン。