ドイツ軍がヨーロッパ西部戦線で一気に勝利を収めると,日本では宗主国がドイツに敗れた仏印や蘭印への南進論が高まって対独提携論が再び台頭した。そして日独伊ソ4回協商でアメリカを牽制しようという第2次近衛内閣外相松岡洋右の構想下に日独伊3国同盟と日ソ中立条約を締結。
1941(昭利16)年6月の独ソ開戦で,南進論の前提である4回協商構想は破綻した。しかし日本は武力南進の基地として南部仏印へ進駐。アメリカは対日石油全面禁輸の強硬措置に出た。日米交渉は行き詰まり,日本軍は12月8日にハワイのアメリカ太平洋艦隊基地などを奇襲攻撃した。当初、日本は成功を収めたものの,1943年には形勢が逆転し,1945(昭和20)年8月、広島・長崎への原爆投下とソ連の対日参戦によりポツダム宣言を受諾。