大塚久雄

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 (1907−1996)経済史学者。専攻分野は、西洋経済史;思想史;社会科学論。東京大学教授。マルクス(K.H.Marx)とウェーバー(M.Weber)の方法論から独自の社会科学方法論をたて、いわゆる「大塚史学」を構築した。

【主著】

  • 『株式会社発生史論』1938
  • 『近代欧州経済史序説』1944
  • 『共同体の基礎理論』1955

大塚久雄『社会科学の方法』?−ヴェーバーとマルクス−(岩波新書)1966年

経済人ロビンソン・クルーソウ
ヴェーバーの「儒教とピュウリタニズム」をめぐって − アジアの文化とキリスト教 −
ヴェーバー社会学における思想と経済

大塚久雄『社会科学における人間』?岩波新書。1977年。

「ロビンソン物語」に見られる人間類型
 ロビンソン・クルーソウは、決して遭難者一般の体験談ではありえない。世界史的には極めて特殊な人間類型に属する生活・行動様式を示している。それは、ヴェーバーの言う「資本主義の精神」を体現した「すぐれた経営者」と「忠実な労働者」を一人二役でこなしているのである。

マルクスの経済学における人間
 マルクスの「資本論」の副題は「経済学批判」である。
 人間の経済活動を貫くものは「資源配分」すなわちそこに活動する人間が主体となって、物的・人的資源を配分する行為である。しかし、非常に発達した自然発生的分業の中では、あたかも「商品や貨幣がひとりでに動いたり、あるいは商品・貨幣には価値という実体があるかのように」錯覚して見えてしまう。経済は、人間の活動であるはずなのに、あたかも自然現象であるかのように人間の意のままにならない、という状況=人間疎外状況を作り出す。そして従来の経済学は、その錯覚に固執して、経済をモノの動きとしてとらえることしかしていない。
 このようにマルクスは批判し、この「資本論」を書いた。すなわち、「資本論」はモノの動きとしての経済を解き明かすだけの書物ではなく、その節目節目において、人間疎外のヴェールをはがしていき、モノの動きに見える経済が、実は人と人との関係であることを明らかにしていくのである。
 その際、マルクスが資本主義経済の範囲内で論じている中での、人間類型の前提は「ロビンソン的人間」であったが、マルクス自身、資本主義以外の社会を支える人間類型は、また別にいろいろあることに気づいていたようである。ところが、マルクスの後継者たちは、「経済=上部構造論」と「単線的発展段階論」の中で、こうした人間類型の相対化という課題は忘れ去られてしまったのである。

ヴェーバーの社会学における人間
 ヴェーバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中で前提としているのは「ロビンソン的人間」である。「資本主義の精神」のエートスの中核は「世俗内禁欲」であるが、これは禁欲的プロテスタントが生み出したものである。
 ヴェーバーは、この論文を含む「宗教社会学論集」の後半「世界宗教の経済倫理」の中で、他に、儒教・道教、仏教・ヒンドゥー教、古代ユダヤ教などについても考察している。
 ヴェーバーは、マルクスの言うように「経済」が世界を動かすパワーであることは認めているが、同時に、宗教(というより思想)が、その世界が動いていく方向を決定づけるという作用をすることに重点をおいているのである。






2007-03-10 (土) 21:45:02 (3666d)