池田勇人

「池田勇人」についてのメモ。池田勇人とは…
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歴代首相

池田勇人 †

1899-1965(明治32‐昭和40)

政治家。広島県生まれ。京大卒。大蔵官僚を経て政界入り。第三次吉田茂内閣の蔵相。昭和三五年(一九六〇)岸内閣のあとをうけて組閣。国民所得倍増計画を実施、高度経済成長政策を推進した。

戦後の官僚政治家。広島県竹原市出身。京都大学法学部卒業。1925年大蔵省に入る。47年事務次官となる。49年,広島から衆議院議員に当選,ただちに第3次吉田茂内閣の蔵相に就任,50年通産相を兼任。吉田茂直系の政治家として GHQ が示した〈経済九原則〉の具体化を推進した。池田=ロバートソン会談(1953),造船疑獄で疑惑を残したが,54年自由党幹事長に就任。55年保守合同による自由民主党の成立後,石橋湛山内閣,岸信介内閣の蔵相,のち国務相,通産相を歴任。蔵相,通産相時代,〈中小企業の一部倒産やむなし〉〈貧乏人は麦を食え〉の発言が問題にされたが,その後も,〈所得倍増〉〈農業人口の6割削減〉など経済成長主義の姿勢を一貫させた。60年安保条約反対闘争の高揚で辞職した岸信介の後を受けて首相となってからは,大平正芳,宮沢喜一らに支えられ〈低姿勢〉〈寛容と忍耐〉を唱えるなど,保守本流内閣としての柔構造を4年間,3次にわたって持続させ,日本経済が戦後復興を成し遂げ高度経済成長段階へ突入する過程を担った。

  • 池田内閣(1960年7月〜64年11月)

60年安保後に首相となった池田勇人は,政冶的争点となる課題を避け,所得倍増を一枚看板とする経済主義を採り,自民党政権は安定期に入った。しかし政治的対立を避けた結果.重要な外交案件は先送りされた。池田首相は1964年7月の自民党総裁選挙で接戦の末,3選を果たしたが、間もなくガンを発病し,総裁選で2位だった佐藤栄作を後継者に指名して退陣した。






2007-03-10 (土) 21:45:29 (3878d)