竹島

「竹島」についてのメモ。竹島とは…
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竹島問題 †

  • 竹島(韓国名・独島)は島根県・隠岐諸島の北西約157キロに位置する。
  • 日本は1905年、島根県に正式に編入、今年で100年目を迎えた。一方で韓国は52年に「李承晩ライン」を設定した際に領有権を主張し、54年から警備隊を常駐させ、灯台やヘリポートを建設するなど「実効支配」。日本側は不法占拠として抗議を繰り返している。
  • 竹島と尖閣諸島の実効支配
    • 竹島については韓国が、1952年の「李承晩ライン(日本漁船立入禁止線。韓国では『平和線』)」による竹島を含む海域の「海洋主権」宣言以来、実効支配を続けている。
    • 尖閣諸島は、1895年に日本政府が現地調査のうえで日本領に編入。以後、日本人が居住してかつお節工場がつくられるなど、日本の実効支配がおこなわれている。中国政府は1971年から尖閣諸島の領有権を主張。

竹島 双方の言い分 †

  • 「対論『竹島』はどちらのもの」(東京新聞,2005/03/17)

下條正男・拓殖大教授 †

  • 竹島が「日本固有の領土」という根拠。
    • 「1667年に松江藩士が書いた隠岐の巡視記録に、竹島と鬱陵(うつりょう)島が日本の『西北限』と記されている。これに先立つ一七年、鳥取藩の米子町人二人が幕府から鬱陵島への渡海許可を得た。幕府が鬱陵島とその途中にある竹島を領土と認識し実効支配していたのは明らかだ。この事実に基づき1905年に明治政府は竹島を日本領土と閣議決定し、島根県が県土編入を告示した」
  • 韓国側の主張の問題点
    • 「韓国側がよりどころにしているのは一七二八年の王朝の実録。この中に日本に密航した安龍福という人物が鳥取藩主と直談判し、鬱陵島と竹島が朝鮮領であることを認めさせたとの証言記録がある。また安龍福は『日本で言う竹島は朝鮮領である于山(うさん)島のことだ』とも語っている」
    • 「鬱陵島は512年、新羅に編入されて以来、朝鮮領と認められてきたが、于山島については朝鮮でも所在が明確でなかった。それを安龍福が日本に認めさせたとして英雄扱いされ、現在韓国の歴史教科書にも登場する。しかし日本の文献と突き合わせると、安供述は全くの虚偽だったことが判明している」
  • 幕府は一貫して竹島の領有意思を持っていたのか。
    • 「絶海の孤島で、漁民ですら立ち寄らなかった竹島について領有権問題など起こりようもなく、幕府によって1696年に鬱陵島への渡海が禁止されたときも、竹島は問題にされなかった」
  • 竹島の実効支配は朝鮮側に移ったのか。
    • 「朝鮮側は1882年、鬱陵島を開拓すべきかを検討するため実地調査を行った。しかし竹島には近づいてもいない。朝鮮が竹島を領土と認識していなかった証拠だ」
  • 韓国は竹島が日本による朝鮮侵略の「最初の犠牲地」とみている。
    • 「一六九六年以降、竹島は日朝どちらにも属していない空白地になっていた。当時、統治者がいない土地を占領することは国際法の法理として認められており、竹島の日本編入を朝鮮に通告する義務もなかった」
  • 何が竹島問題の進展を妨げてきたのか。
    • 「竹島問題が起こると、韓国では日本側を妄言と決めつけ、日本はそれに反論もしてこなかったことに問題がある。大切なのは竹島が日韓どちらの領土かを争うことではない。竹島の日条例制定をきっかけに歴史的事実に基づいた議論が起こることを期待している」

内藤正中・島根大名誉教授 †

  • 日本の外務省は「竹島は歴史的にも国際法上もわが国固有の領土」と主張しているが。
    • 「17世紀半ばまでに、幕府が鳥取藩の米子町人に渡海許可を与えることなどを通じて実効支配していたというのが日本政府の主張だが、非常に粗雑な説明に終始しており、固有領土論は根拠が薄いというのが実態だ」
  • 渡海許可を得た町人の家に伝わる文書では、鬱陵島や竹島を幕府から「拝領」していたとある。
    • 「封建時代、土地はすべて領主のものであり、たとえ無人島であっても幕府が町人に分与することなど本来あり得ない。文書が書かれたのは、渡海許可を得た人物の二、三代後。子孫が先祖の業績を過大評価して『拝領』などの表現を使ったのだろう」
  • ほかにどんな点で根拠が薄いのか。
    • 「日本は1696年に鬱陵島への渡海を禁じた。それは竹島の領有意思否定を意味する。日本政府は『当時幕府が禁じたのは鬱陵島への渡海であって竹島は禁じていない』と言うが、渡海禁止によって竹島に行く者も途絶えた。竹島は朝鮮のものと認識されたとみるべきだ」
  • 日本側が領有を否定したと考えられるのはこれだけか。
    • 「もう一度ある。明治時代に入ると鬱陵島に渡る日本人が再び出始めた。一八七六年に同島の開発申請が出されたのに対し、明治政府は翌年、鬱陵島とほか一島は『本邦とは関係ない』という太政官決定を下した。『ほか一島』は属島である竹島を指すとみられる。つまり、日本は江戸時代と明治時代に二度、竹島が無関係の島だと言ったが、領有意思を主張したことは一度もない」
  • 朝鮮側は長年、鬱陵島の無人化を実施した。属島の竹島は見たこともなかったはずで、結局、竹島はだれのものでもなかったのでは。
    • 「1900年に大韓帝国勅令で鬱陵島を領土と宣言し、属島の『石島』を管轄するとした。石島は竹島のこととみられ、既に領有国は決まっていた」
  • 韓国側の主張に問題はないのか。
    • 「確かに竹島問題の発端にある安龍福の供述について、韓国側の研究は日本側の史料を全く見ないまま事実として扱うという致命的な欠陥をもっている。一国主義の歴史観という点では韓国も同じだ。竹島問題が浮上するたびに、韓国メディアに登場するのは安龍福であるだけに、徹底した史実の解明が求められる」
  • 竹島問題の解決への道は。
    • 「日本政府は固有領土論からいったん離れたうえで、はじめから議論を立て直す必要がある。両国が揚げ足を取るだけでは何ら生産的な結果は期待できない。互いに史料を出し、冷静に話し合う共通の土俵をつくることが必要だ」





2008-07-18 (金) 08:30:11 (3383d)