この時期の列強の中国侵略は、租借地や勢力範囲の設定、鉄道の敷設権や鉱山採掘権の獲得などの各種資本の投下を特色としていた。日清戦争の下関条約で、日本が遼東半島を獲得すると、ロシアは、ドイツ、フランスを誘って、日本に圧力をかけ遼東半島の返還させた(三国干渉)。
日本の進出をおさえたロシアは、東清鉄道の敷設権を獲得し、ドイツは宣教師殺害事件を口実に膠州湾を租借。これにならって、ロシアは旅順、大連を。イギリスは威海衛、九竜半島を。フランスは広州湾を租借した。
各国は、鉄道の利権もわけあい、これらの租借地や利権の確保を図って勢力範囲を設定した。
日本も台湾の安全確保のために、福建省の不割譲を約束させた。
中国進出に遅れをとったアメリカは、国務長官ジョン=ヘイが門戸開放宣言を発した。中国の領土や利権を奪い取る機会の均等ということであり、実際には中国分割への割り込みであった。