日本の侵略に対抗するという点では、国民党と共産党とは利害が一致し協力をすることはできたが、対日戦争に勝利すると、両者の対立が表面化した。1946年6月アメリカの支援を受けた国民党政府軍が共産軍に攻撃を仕掛け、国共内戦が始まった。この内戦に勝利を収めた共産軍(人民解放軍)は、1949年毛沢東を首席、周恩来を首相として中華人民共和国を成立させた。一方、蒋介石の国民党政府軍は1949年台湾に逃れ、アメリカの援助の下で中華民国を維持した。1950年代に土地改革、企業の国営化、農業の集団化(人民公社)などが推進されたが、農業生産の失敗で後退した。1965年、59年以来毛沢東にかわって国家主席となっていた劉少奇は失脚して、毛沢東、林彪派が勝利を収めた。しかし、林彪は、毛沢東暗殺未遂事件でソ連に亡命を図り、墜落死した。1970年代にはいると、ソ連こそが主要な敵であるとして、アメリカとの国交回復に踏み切った。
2006年度国防費は前年度比14・7%増の約2807億元(約4兆円)で、18年続けて2けたの伸び率となった。国際社会からは国防支出の不透明さも指摘され、根強い「中国脅威論」の根拠の一つとなっている。中国政府は05年9月に発表した白書などで、国防費増加の主な理由として、装備の近代化や国際石油価格の上昇のほか、軍人の給与、福利厚生、社会保障制度の充実などの待遇改善、人材育成に充てていると反論している。
毎日新聞 2008年8月5日 東京朝刊