中世の政治思想

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政治思想:中世 †

 古代末期から中世にかけて,ヨーロッパではキリスト教会が政治権力を握った。古代末の思想家アウグスティヌスは,『神の国』でキリスト教化された教会国家を理想化している。神の国とは,神を中心として,霊に生きる救済された者の国であり,地の国とは,自己を中心とした肉によって生きる救われざる者の国である。現世はこの二つが混在しており,最後の審判によって分離し,神の王国が実現するとした。
 中世封建社会を代表する思想家トマス・アクィナスは,アリストテレスの影響を受けており,さまざまな目的からヒエラルヒーを形成し,その頂点には当時の最高価値であるキリスト数的価値をおいた。そして,神を頂点とする教会国家の階層的秩序を正当化することによって,教会権威が世俗的権威よりも上に存在することを正当化した。こうして中世キリスト教世界の政治理論の完成を見たが,このような中世の教会国家は,世俗権力が自律化されるにつれて衰退し,やがて近代的な主権国家が台頭することになる。彼の主著は『神学大全』である。

 15世紀の末から16世紀の初めにかけて,ヨーロッパの国々では国内の分裂を解消することで強い権力をもった王の下に国家の統一が進められた。新しい国家を建設するにあたり,政治制度の整備や改革の必要性に迫られた為政者たちは,その担い手を古典に精通した人文主義者に委ねたのであった。現実主義的な者たちは強い権力を用いて,倫理を顧みない権謀術数を用いながら国王の権力を増大していくことを考え,理想主義的な者たちは為政者にプラトンやアリストテレスらの政治理念を数えることで現実を理想的に改革するようにして,政治に関与していった。

マキャヴェリ †

 中世世界の解体(13世紀〜16世紀とされる)を進行させたルネサンスは古代文化の復古運動であった。その中心となったイタリアは,多くの都市国家に分裂しており,諸国の干渉に脅かされ,政治的には不安定な状況にあった。そのような危機の時代に,イタリアの政治的安定の創出を課題としたのが,マキャヴェリによって著された『君主論』(1532年)であった。
 彼は人間を利己的な存在とみなしたうえで,君主が国家を建設し,統治を行っていく技術である権謀術数をあきらかにした。統治こそが君主の目的であり,そのためには時として,手段をも選ばない態度も必要とされる。「愛されるよりは恐れられよ」などの表現に見られるように,君主には「ライオンの見せかけと狐の知恵」を兼ね備える人物が求められる。
 また,フォルトゥナ(fortuna=運命)の少なくとも半分は,人間の自由意思であるヴィルトゥ(virtu)によって克服せねばならないとし,中世的なキリスト数的共同体理念は解放され,目的合理主義が始まったことから,政治権力の主体性・自律性を主張した点でも注目される。

トマス・モア †

  • ルネサンス期を代表するもう一方の思想家が,トマス・モア
  • 『ユートピア』(1515〜16年)でマキャヴェリと対照的な理想世界を描き出した。そこは人類の自由な天地であり,自然法と宗教に基づた倫理原則が存在しており,誰もが理解できる最小限の法が決められ,貨幣も廃止されている。そして,人々は平等に働き,私有財産も貴族階級も存在しない,原始的な共産社会であった。このような理想的な制度の記述は,読者が改革の理念を読みとり,それに基づいて現実の改革に取り組むことを期待したものであった。

宗教改革の政治思想 †

 ルネサンスが上流階級を中心とした運動であったとすれば,宗教改革は一般民衆の宗教生活を原動力として展開された。M.ルターは聖書をドイツ語訳し,『95ヵ条の論題』(1517年)を提出して,免罪符販売に代表されるカトリック教会の腐敗を批判し,キリスト教の真のあり方を問い直した。
 ルターに影響されたジュネーブのカルヴアンは,全能である神と対照的な存在として,人間の無力さを強調し,人間が神の道具として,日常生活の職業労働に携わることが,神の栄光にかなう道であるとみなした。カルヴァンによれば,選ばれた人々による教会は,国家から保護を受けねばならず,ジュネーブではこの考えに基づいた神政政治が展開された。

宗教戦争 †

 こうしてキリスト教内部で宗派対立が生まれた結果,16世紀は宗教戦争の時代となる。特にフランスでは,国王派がユグノー派(=カルヴァン派)を虐殺した事件を契機として,自らの信仰を守るために,暴政君主に対する抵抗権を主張する考えが生まれた。彼らはモナルコマキ(暴君放伐論者)と呼ばれ,カルヴァンも暴政君主への抵抗権を条件つきながら認めていた。

ボーダンの主権論 †

 モナルコマキなどによる,ユグノー派の抵抗運動は,国家権力の抑圧を招いた。とりわけ君主権威の強化を通じてフランス国内を安定させようとするシャン・ボーダンは『国家論』(1576年)で主権論を展開した。彼は家父長制との類比で,「国家とは多数の家族およびそれらに共通するものの主権をもってする正しい統治である」とし,また「主権とは国家の絶対的かつ恒久的な権力である」とした。そして,法律や慣習,三部会や高等法院には拘束されないともしている(しかし,主権も,神法や自然法,王国基本法による制約は受けるとしている)。こうしてフランス絶対王政が基礎づけられた。






2007-03-10 (土) 21:45:39 (4122d)