日本軍は緒戦で朝鮮正規軍を破ったが、朝鮮民衆の義兵闘争や明の救援軍の反撃にあい、翌年、明との間に停戦協定が締結された。しかし、それは日明両国間の和平条件の齟齬(そご)のために破れ、97年(慶長2)再開された戦闘は、翌年8月の秀吉の死に至るまで続いた。この侵略は朝鮮の国土・民衆に甚大な被害を与えたのみならず、過酷な軍役・徴発によって豊臣政権の基盤もまた動揺する結果となった。
→文禄の役 →慶長の役