朝鮮通信使

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朝鮮使節

朝鮮通信使 †

  • 朝鮮国王が日本に派遣した外交使節団。
  • 江戸時代、主に将軍の代替わりの際などに来日
  • 1607年(慶長一二年)から1811年(文化八年)にかけて、一二回来日。

中世・近世,朝鮮国王の国書・進物を携えて日本に派遣された外交使節団。通信使・朝鮮信使・朝鮮来聘使とも。1429‐1811(永享1‐文化8)に17回。計画倒れに終ったこともあった。中世には,足利将軍襲職祝賀・修好のほか*倭寇禁圧要請を名目とした。豊臣秀吉は朝鮮国王の服属・入貢を求めたが,仲介した対馬の*宗義調(よししげ)は新政権成立祝賀の通信使派遣を朝鮮に要請し,1590(天正18)黄允吉・金誠一らが来日。また96(慶長1)には講和・修好を名目に明使とともに来日した。1607‐24(慶長12‐寛永1)は,徳川将軍への回答・*朝鮮人被虜の刷還・国情探索を目的とする回答兼刷還使。36(寛永13)から通信使の名称に復し,さらに中国大陸の政治情勢安定を受けて55(明暦1)以後の名目は将軍襲職祝賀に落着く。1711(正徳1)*新井白石が徳川将軍の対外呼称を*日本国大君から日本国王に復し(復号一件),かつ聘礼を簡素化する改革を行なったが,17(享保2)日本国大君号,天和の旧礼を復活した。1811(文化8)日朝両国の財政事情悪化を主因として対馬*易地聘礼のみ。使節団は総人数500人前後の規模で,伏見聘礼(1617/元和3)と対馬聘礼を除き,江戸城で国書が交換された。1636,43(寛永13,20),55(明暦1)には日光東照宮に参詣。使行の沿道各地には宿泊・休憩所が設営され,幕府は代官・諸大名に命じて接待・送迎させた。一行には朝鮮王朝を代表する学者・文人が任じられ,詩文応酬を通じて朝鮮・中国文化に触れることを望む日本人との交流がさかんであった。詩文集・行列記も出版され,関連の詩文・墨跡・遺構が現在も各地に伝わる。また,一行の紀行文には朝鮮人の目を通した当時の日本が描かれた。






2007-03-10 (土) 21:45:44 (4212d)